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まずはドゥーモ観光 マルペンサ空港の到着ゲートを出る(8/13AM9時)と1001migliaのポスターを抱えたGaetanoさんが迎えに来てくれてました。 彼の車で直接ホテルへ。チェックインの手続きを終えバイクを組み立てて簡単な調整をする。 今回は妻と末娘も付いて来た。さっそくバスとメトロを乗り継ぎミラノ市内のドゥーモへ観光へ出かける。 ドゥーモとその周辺は圧巻でした。 夕方ホテルに帰り一旦バイクで会場の下見に行き、戻ると今泉さんと河内さんがちょうど着いたところだった。 |
プロローグ1(8/14) みんなをあの有名なサンタ・マリア・デル・ギザッロ教会に行かないかと誘う。 サロンノ駅まで(10km)自走で行き列車に乗りコモ湖で降りて教会へ向かう(30km)ことに決定。(僕の家族はコモ湖の遊覧船へ) 出発前後から雨が降り出しサロンノまではみなで行くが、結局僕と今泉さん2人だけが協会へ行くことに。 今泉さんは連日の徹夜(仕事)や風邪気味で体調がよくないらしい。 雨はなんとか止んだがギザッロ教会まではずっと登りで、途中GSのBarで一休みしてなんとか到着。 お目当てのお守り(エンブレム)をゲットして帰りはまた雨の中、直接ホテルへ(70km)向かう。 プロローグ2(8/15) 会場の下見に行くついでに今泉さんをせっかくミラノに来たのだからと今度はドゥーモへ誘ってみる。 風邪気味で昨日は雨の中100km程走っているのに、バイクに乗っている時がやはり一番気持ちがいいと言う。 (彼も根っからのRandonneur だ) 往復50km程、ジェラートを食べて戻る。
受付(8/16) スタート近くの受付会場にて受付を済ませ参加賞をもらい注文しておいたジャージやポロシャツを購入。 そこには河内さん(どれだけ顔が広いのか、、、)に日本人が出場すると聞いてなんとあの宮澤選手が応援に駆けつけてくれていました。 写真を撮ったりスタート時の先導車を眺めたりした後、ドロップバッグを預けて一旦ホテルに戻って体を休める事にする。 ブリーフィングとパスタパーティー 作戦 最初の400kmまでは平坦(ただし制限アベレージは17kmに設定)なので、ここまでにいかに貯金をつくれるか。 PC-7の第一ドロップバッグが666kmの地点、ここからは制限アベが下がるはずなのでここまで無理をおしてでもがんばる。 その後は、、、走ってみるしかわからない。 うまくいけば21日中にゴール出来ることを考え、念のためホテルをおさえておく。 ブリィーフィングではGPSデータはあまりあてにならないことや道路上に矢印が描いてあるがこれも全てはあてにはできないことを伝えられる。 (かといってキューシートはなんか大雑把だし、いったい何を信じて走ればいいのやら、、、、。) それと気になっていたエロイカ(後に記述)のことも。 |
第1(104km、253m)~第2(84KM,370m)~第3(83km、331m)ステージ 何組かづつに分かれてスタート、僕と今泉さんは21:30頃にその組の最後尾でスタート。 河内さんは(知り合いの英国チームのレイさんと一緒に走る予定)すぐ後の組の先頭に。 PC-3までは食事もベッドもない。 スタートして郊外に出ると如々にスピードアップ、だんだん集団が膨れ上がりP-B-Pなみのランタンルージュも。 ここで早くも今泉さんとは別れ、その後PC-14まで会うことはなかった。 そのまま大集団でPC-1(104km)に3時間で到着(17日00:35)、カードチェックに時間がかかる。 再出発するとさっきまでの集団がうそのようにいなくなり、前にいた2人に付いていくがどうも怪しい。 案の定ミスコース。ポリスに道を教えられるが、事前にアップされたGPSのルートとは違う。 2人を無視してGPSのデータどおりにコース復帰、しばらくは一人旅に。 後ろから小さな集団が追いついてくるが前に出ない。たぶんみんなも道がよくわからないらしい。 そのうち集団が大きくなり誰かが前に出る、速度も上がり最後尾に付いて行くがまたもGPSのルートから外れる。 僕だけUターンして正規?のルートに戻る。途中何人かに追いつきこのルートでいいのかと聞かれる。 どうもいろいろなルートがあるみたいだ、、、。 PC-2(188km)に03:50到着、水のボトルを一本いただいてすぐに出発。 徐々に夜が明けPC-3(271KM)に07:20に到着、この間のことは全然記憶にない。 ここで五目バターライスにオリーブオイルを混ぜたようなごはんとスープ、パンを食べる(無料)。 トイレを済まし、水を補給して先を急ぐ。 第4ステージ(120km、146m) 気温が上がりかなり暑い、平坦で一本調子の畑の間を進む。眠気もあってこの間はかなりつらかった。 途中耐え切れずに野原に倒れこみ休憩、なんとかPC-4(391km)に着いたのが昼の12:50で7時間の貯金。 体育館の仮眠所がありここで2時間程仮眠する(なぜかワインがあったので飲んだ記憶がある)。 目が覚めパスタパーティー(無料)があるという会場へ向かうと河内さんとレイさんに会う。 彼女にしてはかなりのオーバーペースらしい。 今泉さんはどこかで寝ているのか、、、。 第5ステージ(95km、1111m) 食事を終え一足先に出発、さあこれから山岳ステージの始まり。 まず977mの峠を一発、頂上で防寒装備をして一気に下る(下りは得意)。 PC-5(486km)が20:30、Barでサンドイッチとコーヒーをとる(有料)。 第6ステージ(74km、2014m)
ここで陽が暮れるがもう1ステージこなしたい、ただし峠が2つ、950mと1100m。 ナイトランの装備を終え出発、なんとか最初の峠をクリアーし一旦300mまで下り、また登る。 なんとか1020m地点に到着、そろそろPCかと思いきや左折してあと3kmの看板が現れる。 結局1150m付近まで上ってやっとPC-6(560km)に到着(18日02:50)。 ここは修道院らしく壁画のある食堂でパスタやハム、チーズ、飲み物などをいただく(無料)。 寝たいと告げるとシーツをもらい二階の2段ベッドのある部屋へ案内される。 上段のベッドに音をたてないようにもぐりこむ。
第7ステージ(106KM、869m) 朝5時過ぎに目が覚め出発の用意をしていると去年ARA1200KMで知り合ったドイツ人が一緒に行きたいので5分待ってくれと言う。 彼はキューシートだけが頼りなので僕のGPSをあてにしてのことである。 標高も高く、さすがに夜明け前は寒く、おまけに最初からずっと下りなのでカッパを着用。 僕は上りはからっきしダメなのだが、下りは得意なので一緒にいた連中を千切ってぶっ飛ばしていくが、 さすがにドイツ人は離されまいと必死で付いてきた。 下りの途中で夜が明けアップダウンが始まるとさすがに暑くなりカッパを脱ぐ。 最後に600m程の峠を越えて湖のほとりのPC-7(666KM)へ11時に到着。 あのドイツ人は峠で先に行ってしまい食事を終えて出て行くところだった。 ここでパスタやケーキをいただく(無料)。 少し離れた体育館へ移動し一つ目のドロップバッグを受け取り、シャワー室へ。 だが水しか出ない。急いで髪と体を洗いジャージを着替えさっぱりとし、電池類や補給食を補充して出発。 |
第8ステージ(68KM、873m) 湖沿いや田園地帯を進みわずかなアップダウンを繰り返しているとGPSでは右に行くところを左へ矢印が道路に書いてある。 矢印を信じて左に行く者、僕のように右に行く者。 とにかくGPSを信じて走っているとまたもや違う矢印が左へ、、、。 右へ500mほど下ってそのわけがわかる。 高速道路を横切る高架が工事で通行止め。 しかたなく引き返し今来た坂道を上っていると向こうから一人来るので通行止めを知らせ一緒にしばらく走る。 PC手前の坂道を上る途中暑くてたまらないが水がなく困っているとボトルをさしだしてくれた。 グラッチェ! 体中に水をかけなんとかPC-8へ(734KM)16:35到着。 ここはBarで薄いパン生地のサンドとコーラを注文(有料)。 |
第9ステージ(54KM、990m) 前半は景色の良い湖畔を気持ちよく走り、後半は590mの峠を越える。 一度小休止を入れてやっと上り終え、下りの途中でオフィシャルバイクに止められる。 シークレットかと思いきや湧き水があるから飲んでいけと言う。 景色の良い所で遠くに古城が見える。 残りの下りを楽しみ湖畔のリストランテPC-9(788KM)を迷いながら捜して20:20に到着。 パスタ、ごはん、ケーキ(無料)を食べコーヒー(有料)を注文。 途中で知り合ったアメリカとカナダのペアはここでホテルを捜すらしい。 第10ステージ(71KM、786m) 僕はもう一つ先の仮眠所に向けて出発。 600mほどの峠を一つ越えればいいぐらいにしか思っていなかったがこれは甘かった。 峠は斜度もたいしてなくなんとか越え、長い下りをしばらく楽しんでいると突如ライトアップされた古城に出る。 その威容さに圧倒される(去年ドイツで見たのを思い出す)。 夜中の人混み(観光客か?)をかき分けなんとかルートに戻る(ここはわかりづらい所だった)。 小さな峠を越えてしばらくすると突然目の前に白いコンクリートの壁が、、、。 道路にはご丁寧にも何本もの矢印がこれで間違いないとばかりに描いてある。 15-20%ぐらいの壁がえんえんと続くように思われ僕の心は打ち砕かれとうとう歩き出す。 精も根も尽き果てた頃やっと壁も終わりなんとかPC-10(859KM)へたどり着く(19日01:25)。 ここはパスタにパン、チーズに生ハム、スイカにメロン、おまけにワインが白、赤となんでも揃っていてまるで天国のよう(全部無料)。 お腹いっぱいになり幸せな気分で薄いマットの上で朝まで眠る。 |
第11ステージ(77KM、1690m) 07時頃に目が覚め、しっかり朝飯をいただきトイレを済ましコーヒーを飲んで出発。 今日も暑くなりそうだ。 560mと620m二つの峠の間にかなりのアップダウンのあるコース。 一つ目を越え下っていると突然シークレットPがあらわれチェックを受け写真を撮られる。 この先道が悪く急だから気をつけて行けと忠告される。 下りきったところには川のようなものがあり、後に聞いた話では今日は天気が良くなんなく渡れるが大雨が降ると本当の河になるらしい。 2つ目の峠を上っているとあきらかにGPSと違う。Uターンして道を探していると一人ついてくる。 小さな分かれ道をGPSに従い曲がると未舗装路の登りが、、、。 そのうち道がよくなるのを信じて上るがどこまでもジャリ道が続く。 高台にでてからもブドウ畑が広がるジャリ道がえんえんと見える。 引き返そうと思っても時すでに遅し。 一緒にきた彼は僕を信じたばかりにかわいそうに、、、。 GPSはステーからぶっ飛びポケットに入れ、パンクはしないかとはらはらしながらイタリアンジョークかと毒づきながらとにかく進む。 結局10KM程このブドウ畑の未舗装路を走るハメになった。 PC-11(936KM)は丘の上の観光地だった(12:30到着)。 水とレモンティーのボトル(無料)で補給する。 |
第12ステージ(54KM、911m、エロイカ) 丘を下りいよいよ問題のエロイカへ。 ブリーフィングによると2通りルートがあり直進は道が悪くお勧めしない。 右折すると4KM程遠回りになるがこちらを行ったほうが良いが好きなほうを行きなさい(今泉訳)。 たしかに道路には右に矢印が何本かある。 真っ直ぐもいけそうな気がするが言われたとおりに右折する。 丘を2KM程登って矢印に従い左折するとなんとまたジャリ道が、、、、。 ここで引き返せばよかったものをまさかと思いながらも登っていくと先ほどと同じ光景が広がる。 眼下の直進ルートをスイスイ車が走るのが見える。 またもGPSをポケットにしまいバイクが壊れるのではと心配しながらこのジョークに怒りながら走る。 結局8.3KMも遠回りさせられ12KMもジャリ道を走るハメに。 合流してからはのどかなひまわり畑の丘を走りPC-12(990KM)に16:37到着 。 パスタ、生ハム、パン、チーズ、スイカ、コーラにコーヒーをいただく(無料)。 ここでGaetanoさんに会い2回目のドロップバッグを受け取りシャワー室へ。 今回はお湯も出て気持ちよく着替えをすることができ、電池や補給食を補充して2時間ほど仮眠する。 第13ステージ(95KM、1764m) 次のPC-13は何もないようなのでなんとかその先まで行って休みたい。 しかしかなりの上り下りに苦労し、途中道端に座り込んだりBarでコーヒーを飲んだりしてなんとか20日00:55にPC-13(1085KM)に到着。 PC-14までは下り基調で53KMしかないのでうまくいけば03時頃には着けるか。 第14ステージ(53km、232m) これも甘い考えでした。 最初はたしかに下り基調でしたが途中のアップダウンが辛くなかなかアベレージが上がらず、あげくに道端で横になる始末。 なんとか04時前にPC付近までくるが場所がわからない。 後から来たライダー2人と30分ぐらいさがしてやっと到着、PC-14(1138km)、04:30。 ごはんかパスタをもらい缶ビールを買って体育館のバスケットゴール下で眠る。 寒くはないが体のあちこちが痛くて目が覚める。 しかしなかなか起きれない。 09:30頃なんとか重い体をひきずるように起き上がり朝飯を食いに行く。 ここで今泉さんにメールするが返事がない。 河内さんにメールするとなんと700km付近でレイさんに追突して落車し今病院だと言う。 たいしたことはないので今日中にはホテルに戻れるらしい。 ここにいたイギリスチームも心配で聞いてきたので河内さんの事を知らせる。 レイさんもその後リタイヤしたこともわかる。 そうこうしていると今泉さんが到着。 スタートしてまもなくパンクしたことや最初から眠くてあちこち野宿したこと、湖畔のPC-9では彼もホテルに一泊したらしい。 エロイカはやはりイタリアンジョークで他のライダーからは「お前アレ走ったのか? ハハハ。」と笑われたそうだ。 |
第15ステージ(120km、1237m) 二人で朝食を終え11時過ぎに再出発、しかし車の多い街中で一方通行でまた分かれてしまう。 まあ今日はかなりの山岳なので彼についていけるはずもなく返って足手まといにならなくていいかと思う。 後ろからイギリスチームが追いついてきたので後ろにつかせてもらう。 町を抜けると景色の良い川沿いに登っていく。 途中トラットリアにみんなで入り昼飯にパスタとジェラートをとる。 僕は登りが遅いことを告げ一足先に店をでて750mの峠へ向かう。 後ろから来た(たぶん地元の)サイクリストと片言の英語で話をしながら頂上を目指すがどうしてもコーラが欲しくなり頂上手前のBarに入る。外のイスに腰掛けカードに興じる老人達を眺めて一息ついて出発。 先ほどのサイクリストが降りてきてもうすぐ頂上で下りは道が悪いから気をつけて行けとエールをもらう。 750mから一気に100mまで下りPC-15(1258km)には18:10に到着。 ここはGSで自分でスタンプを押して時間を記入するらしい。 |
第16ステージ(74km、1913m)
今日はこのステージまでと決め出発。 一旦550mまで上り0mの海沿いの町へ下る。 交差点で停車した時にBarがあったので次の登りに備えて一休みする。 カウンターの上の半分に切ったグレープフルーツが目に留まりそれをジュースで欲しいと伝えるとOKMと言う。 アルコールはどうすると聞くのでそれは遠慮する。結構な量を絞ってくれかなりおいしいフレッシュジュースだった。 ついでにケーキとコーヒーももらいぼちぼち出発する。 海岸沿いの夜景を眺めながら420mまで上りアップダウンを繰り返してまた0mまで下り海沿いのPC-16(1332m)に23時に到着。 パスタをもらい(無料)マットのある仮眠所で眠る。 |
第17ステージ(92km、1460m) 今日(21日)も体中が痛くて何度も目が覚める、それでもなんとか06:30に起きて朝飯を食べる。 今泉さんのバイクがあるが仮眠所にはいない。 どこかホテルでも見つけて入っているのか(後で聞くと二階にも仮眠所があったらしい)。 残りの距離も300kmを切ったので今から出発すれば今日中にはゴールできそう。 0から一度550mまで上昇し一度0まで下りまた650mまで上昇する。 Barで一度休憩をいれ上り終えてから気持ちよく下っていると長身のイタリアーノに追い抜かれる。 あわてて追撃開始、なんとか追いつき追い越す。 しばらくバトルをやっていると相手もあきれたのか追ってこなくなった。 (1400kmも走ってきて何をしているのやら、、、、。) 平坦になりイタリアーノに先を譲ると後ろについて来いと手招きする。 ありがたく後ろにつかせてもらいそのまま仲良くPC-17へ(1424km、12:46)。 ここでもパスタやケーキをいただきましたがメロンやピーチなどフルーツが豊富でスイカが好きな僕はいくつも食べなかなかスタートがきれない。 いい加減お腹一杯になったところでようやく重い腰をあげ出発する。 ここではみんなの写真を撮っていたようだ。 |
第18ステージ(55km、410m) 残すところあと2ステージ、175km程でほとんど平坦なのでうまくいけば陽が暮れる前にゴールできるか、、、。 昨日一緒に走った英国のペーターが一人でいるのに追いつく。 彼にはちょっとした障害があり、時々発作がおきて突然転んで落車したりするらしい。 時にはバイクが壊れたり体中アザだらけになりながらもそれでも完走するという。 かなり危険だとは思うがバイクに乗るのが生きている証になっているので家族や周りも好きにさせてるらしい。 本人も自覚があるのか発作が起こりそうな気がすると停まっている。 今回も一度発作が起きたという。 僕に追い抜かれ目が覚めたのかスピードを上げて付いて来た。 僕も一人で走るよりは気分が楽なので彼が切れないようにそこそこの速度で走る。 でも、結局PC手前の坂道で追い抜かれておいていかれましたが、、、。 とうとう最後のPC18(1479km)には15:45に到着。 ここは最後のPCにふさわしくあのファウスト・コッピの生家(今はいとこが住んでいる)らしく記念館みたいなところでした。 しばらく休んで水を補給して出発。 |
第19ステージ(ラスト120km、272m) いよいよラスト、あとはゴールを目指すのみ。 なぜか昨日の英国チーム達と一緒になりあっちだこっちだとルートを確認しながら走る。 とりあえずは僕のGPSに従って走ることに。 突然現れた木の浮き橋を渡ったり石畳を走ったりしながら80km程のところのBarで一休み。 だんだん夕陽が沈んでいくのを見ているとホッとする気持ちと「ああ、これで終わりなんだなあ、、、」というなんかもったいないような気が交差してくる。 すっかり陽も落ちて暗くなりゴールが近づいてくるとみんながおまえ先頭に出ろという。 いや最後がいいと遠慮するがみんながスピードを緩めるので仕方なく「じゃあ、みんなで一緒にゴールしようぜ。」ということに。 多くのスタッフに笑顔と拍手で迎えられフラッシュの中、首に完走メダルをかけられ最後のチェックにカードを提出。 何枚も写真を撮られた後、最後のパスタパーティ。 僕がゴールしたらビールを飲むんだと叫んでいたのを覚えていた英国人が先に缶ビールを買って待っていてくれた。 みんなでカンパイして健闘をたたえあう。 8/21 21:27ゴール(1604km、公式記録119時間59分) 預けていたドロップバッグを受け取りホテルへ戻りシャワーをあびてベッドにもぐりこんだ頃今泉さんから無事ゴールのメールが届く。 エピローグ(8/22) 一夜明け、食堂で河内さんに会い元気そうなのを確認して安心する。 大事を取って二日間現地の病院に入院しゴミ袋輪行で帰ってきたそうで、2年後か4年後必ずリベンジすることを宣言。 午後からは家族に予約を頼んでおいたダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ行く。 今泉さんも今日は一日空いたので一緒に付き合うことに。 ただ日曜で休みなので彼のぶんの予約が取れない。 とりあえず行ってみると日本人ガイドが余ったチケットを売っていたので怪しみながらも購入してみる。 僕らと時間は違ったけれどもなんなく入場でき彼のほうが一足先に絵を観る事になった。 その夜はドゥーモのBarでハッピーアワー(飲み物一杯を注文するとおつまみ食べ放題)を試してホテルへ戻る。 今泉さんは8/23に帰国、僕ら家族と河内さんは翌24日にGaetanoさんに空港まで送っていただき無事帰国の途へ。 |
追記 スタートを切るまではほんとに不安でした。距離も標高も今まで経験したことがなくどうなるか、完走できるのか。 しかし、PCでの食事、仮眠所、スタッフの対応等どれもすばらしいものでした。 オフィシャルのバイクも日に何度も見かけるほどで女性の方にも安心感があったのではないでしょうか。 イタリア語はもちろん英語もほとんどできない僕でも何も困ることはありませんでした。 もし2年後参加してみようかとお思いの方、ぜひ走ってみてください、決して後悔はしません。 それほどすばらしいコースでした(ただエロイカには参りましたが、、、、)。
最後に1001Migliaオーガナイザー、スタッフのみなさん、Gaetanoさん、ポリホテルのみなさん、参加者のみなさん、 河内さん(食事の時の通訳ホント助けていただきました、次回どこかでお会いした時はぜひ一緒に走りましょう)、 最後に同室の今泉さん、いろいろ僕のわがままに付き合ってくれてありがとうございました。 Grazie!! Report &Photo : Chikara IWAMOTO, Sep. 2. 2010 |
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