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▲CAN-AM受賞の稲垣さん

カスケード1200とロッキーマウンテン1200を走ってCAN-AMを受賞した稲垣さんのレポートです。日本人では初めてです。ちなみに、CAN-AM創設者の一人、カナダのレアルさんは、日本のブルベ開催に力を尽くしてくれた方です。この人がいなければ、日本のブルベ導入は5〜6年は遅れていたかもしれません。

Can-Am Challenge


*日本でブルベを走っているDavid LittさんもCAN-AMをゲットしました(Littさんのカスケード1200のレポート写真がカスケード1200サイトにあります)。

■CAN-AM受賞で5つのメダル

 CAN-AM という言葉は、ほとんどの日本人ブルベライダーは知らなかったと思う。 簡単に言えば、1996年から始まったアワードで、カナダとアメリカのRM認定の1200km超ブルベを1年の間に両方を完走すれば、もらえると言うもの。今年は23名が受賞した。

http://www.randonneurs.bc.ca/rockymountain1200/can-am-challenge/

 日本から簡単にいける訳でもなく、参加するため為の時間、お金もかかるし、語学力、走力など複合的に見ると PBPを1本完走してメダルをもらうよりも、難易度は、RUSAのコースが大変だけに敷居が高くなる。 出走参加募集人数も、RM-1200kmは125名、カスケードは100名と、PBPとは比較しようのない少数人数の為、確かにホスピタリティーが充実していても、自己責任で無事に生還するという覚悟が必要だと思った。

 今回 私が挑戦したのは、RUSAのC-1200(カスケード1200km)とRM-1200 (ロッキーマウンテン1200km)。RUSAのコースはどこもそれなりに難しいのだが(他にも、CHC、ゴールドラッシュ、ラストコロラド、シュアンドーなど)、アメリカ人に言わせれば、カスケードは一番大変だったと言う事を聞いていた。しかし、このカスケードを制すれば、ロッキーは比較的容易いということも一人だけでなく、多くのライダー達からも聞いていた。特にRM-1200に関しては累積標高がPBPよりも低い。これは意外だった。

 しかし、この組み合わせは、約1ヶ月の間に2本の1200km完走は容易ではないのは皆よくわかっている。だからこそ、体調管理も含めて、完走したライダーには200人以上の前で、一人一人表彰されメダルを授与される。その雰囲気は、非常に厳粛なものであった。カナダの世界的に有名なケン ボナー、RUSAの会長マーク トーマスと同じ物を持っていること自体、信じがたい事だが、現実である(笑)。

 私も知らなかったが、2つの1200kmを走るとCAN-AMのメダルは表彰時に授与される。SIR(シアトルインターナショナルランドナーズ)からはC-1200メダルと購入すればRM(ランドヌール・モンディオ)1200km認定メダル、BC(ブリティッシュコロンビア ランドナーズ サイクリングクラ)からはRM-1200メダルとこれまた購入すればRM(ランドヌール・モンディオ)1200km認定メダルが送られてくるので合計5個のメダルになる(2012年10月5日現在2つのメダルは未到着)。 ただ、メダルを集める事や授賞だけになると、私的飽和になるのでやめたほうがいい。

▲ ロッキー1200kmのメダル
(名前と完走時間の刻印がある)
 
▲ ロッキーのブルべカード

▲CAN-AMのメダル


▲RMメダルはRUSAは購入(裏面に名前の刻印有)BCランドヌールはプレゼントという形で送られてきた。


▲カスケードのメダル。

■4日間で四季を味わえるほど寒暖の差が激しいカスケード

 PBPだと、人数も5500人からいるし、いろんなところで、日本人に合うからそれなりに安心できるだろうし、道を間違える事はなく、アップダウンの連続だけで、事故や、体調に問題なくコントロールできれば、何とか完走できてしまう。BRMの最高峰的な位置づけのような事になってるが、、累積標高も、PCでの食事、補給、DNFした後の交通機関。全く問題なく安心して走れる環境がある。何と言っても、100年からの歴史があるので、ボーイスカウトで言う世界ジャンボリーみたいなお祭りと言う印象が個人的には強い。 

 それに引き換え、RUSAのC-1200は、もし、DNFしたら、交通機関は全く無く、PCまで逃げ込むか、ボランティアの車にピックアップしてもらうしか方法がなく、物凄い緊張感に襲われて、スタート前夜は、一睡もできず朝を迎えた。

 C-1200は、4日間で四季を味わうかのような感覚だった。天候は雨から始まったが、天気に関係なく、ルートを説明する。初日は、新緑のワシントン州を走るので、午前中はそれなりに緑は、目に優しく午後から山岳に入る。2日目は、最初から70kmの緩やかな登坂で、気温も少しずづ上昇して、約120kmの無補給での砂漠地帯を走行。気温も通常は35度とか、40度だが、今年は低かったので助かった。そして、夜は一気に放射冷却で気温が落ち、3日目は、キャニオン地域を走ることになる。

 途中PCで、何か食べるものがあるかと思ったが、全くなし。水の補給のみ。流石にお腹がすいて、万が一の為のアルファ米のチラシ寿司が役にたった。渓谷の高さがあるだけに、風の通路となり、ずっと向かい風を我慢しなければいけない。そして、アップダウンから、夜の登りをする事になる。最終日は一番きつく、厳寒のワシントンパス。この日は降雪予報もでていたぐらいで、0度から-3度。今回は雨の中の70kmのダウンヒル。

 とにかく4日間での気温差が厳しいBRMとなっている。

■観光を兼ねた家族同伴が目立つロッキー

 ロッキーは、比較的土地勘がある場所だけに、DNFした場合、世界的にラフティングで有名なクリアウオーター、ジャスパー、レイクルイーズの観光名所があるので、その場所からは、カナダ大陸鉄道や、グレイハウンドで戻るか、ライダーの家族も旅行がてら来る場合が多いブルベなので、次のPCまでその家族にお世話になるか、タイミングが合えば、ボランティアの車に乗せてもらう事が出来るので、カスケードに比べると、外国人はホスピタリティが充実している事もあって、甘える事が出来やすい。

 今回はRM-1200開催以来、完走率の悪いブルベだったが、62名のライダーが完走している。コース的には、2つの大きな関門がある。最初に用意されている仮眠所までの450kmを24時間以内に走る事から要求される。今までのデータや走行した人の話しからも夜中の2時に着くと、完走は絶望的と言われていた。

 今回は最初からサンダーストームの大粒の雨と恐ろしい向かい風の中での集中豪雨の真っ只中の走行から始まった。それで、上記の条件が付くから、容赦ない雨、風、寒さで低体温症になったりする人もいたから、ここでDNFをする人も多かったようだ。

 2日目は、なだらかな登坂が45kmあるが、そこからが、このアイスフィールドハイウエーの素晴らしい景色を見ながら走る醍醐味がある。ちょうど、600km地点にレストランがあるが、ここを午後2時までに通過しておくこと。これが、第2の関門。これを過ぎれば、80%完走できたようなものとBCのスタッフから言われていたが、全くそんな感じだった。

■重要なのは事前の情報収集


▲C-1200


▲RM-1200

 やはり、私のような貧脚ライダーが、どちらも完走できた要因には、C-1200km, RM-1200kmの先人の完走者からの的確なアドバイスがあり、ホテル情報、細かい生活面での事や、RUSAのHPの見方、夜間に光る蓄光時計などの情報を頂き、登坂データにおける分析を科学的にも進め、天気予報での温度、風、気圧配置の変化を予測する事は、私には全く問題のない事なので、到着時間と休憩時間、その時の気温関係、CUEシートに載っていない公園、トイレ、休憩場所などをグーグルビューで確認していたり、気温に応じての水分量の計算ができており、4名の親しくできる外国人がいたので、彼らからも情報をゲットできたのも有意だった。

 C-1200kmの経験を生かして、RM-1200kmはより、天候に関して計算をしていったが、現地の天気情報をまとめたURLを、次回参加されようとするライダーは参考にされるといいと思う(自分の通過予定時間をあらかじめ考慮することが必要)。

■語学力の必要性

▲C-1200

▲RM-1200

 このアワードの為にだれか挑戦するかもしれないが、家族に迷惑と負担をかけずに、ゲットするには、PBP以上に仕事をリタイアして、隠居してからのほうが挑戦しやすいのは確かだ。焦る必要はなく、家族全員を海外旅行に連れて行けると最高だろう。

 今回のアワードは80%以上が50代以上だと思うし、家族が遊びに来ているのが、本当に多かった。日本からも、ドイツからも、アメリカ、カナダは勿論。

 とにかく、走力よりも、自分も含めて、語学力の必要性を感じた。これは、ボランティアスタッフからも、他の60代からのライダーからも指摘を受けた事も追記しておく。私以外にも、そうゆう事を言われた日本人ライダーはいるから、日本人と言う枠を超えて、国際人と言う意識を持って、チャレンジしてこそ、これからの海外遠征ブルベは、日本人にとっても、外国人にとっても有意なものになると思ってる。 

 それと、いろんな国のライダー達と、挨拶から始まりライドしながらいろんな話をする事で、辛さや苦しさもあるが、楽しさは増していく。楽しさが増すと言う事は、精神衛生上にも良く、全ての気持ちを前向きにしてくれる大きな原動力にもなる。

 普段におけるブルベでの人間関係でも今回のように情報交換が出来る要因にもなるが、走っている時の会話は、内容はどうであれ、日本での走行と同じように、自分自身の気持ちを開放的にしてくれる。また、何かあったときに、アウエイでのブルベは、その国の人間が必ず我々よりも多くの情報を持っているので、走行に安心感があることに間違いがない。  

 そして、RM1200kmをゴールした翌日の新聞には、ロッキーを征服した62名と言うタイトルで載っていた。

■海外ブルベを走るために

▲RM-1200

▲C-1200

 難しい事はいっぱいあるが、参加者はゲストであり、ボランティアはホストで報酬を期待しないで参加している。日本には、気は心と言う言葉があるように、アメリカでも、ボランティアの人たちにDNFしたらピックアップしてもらったり、空港まで送ってもらったりする事は、当然の行為と思わないで、諸外国のBRMライダーがしているように、心ばかりのお金をガソリン代として渡す事は、普通常識と思っての参加を望みたいと思う。

 カスケードの場合は、ドライバーのキャスティングディレクターと、かなりメールのやり取りがあって、日本人3名を1台の車に載せてもらったので、備前焼の焼き物や、他の人もおみ上げを渡したが、帰国時は私一人で、別のシアトル在住の人が、モンローまで来てくれて、又 シアトルの空港まで送ってくれて、駐車場に車を止めての駐車料金、往復140kmからの、ガソリン代、人件費があるわけだから、それなりにするのは常識と思う。

 勿論、クラブからの経費が出ている場合もあるが、一言そうゆう気持ちを外国人に示す事は、日本人の認識を高める事でもあり、これから行く日本人の印象が少しでも良くして帰国するのは当たり前の事ではなかろうか。

 日本だと、このようなシチュエーションに遭遇する事が少ないから、知らないで済む場合もあるだろうが、フィールドが外国ならばその国のそれぞれの方法論を知っておくことも必要で、愛想よく話をしているように錯覚しているだけで、実際は、馬鹿にというか、レベルが低いと思われる事は日本人の恥である事も認識していないといけないだろう。

 これから参加する人は、文武共に鍛えてがんばってもらいたいと思う。勿論、私も次なる目標の為に、自分の楽しみを作るだろう。

Report & Photo Mitsuaki INAGAKI 2012.10.5


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