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白夜のロシア北西部を走る1200km岩本さんと今泉さんが自転車旅してきました。決してラクではなかった道程、自然と人々の親切に触れたブルベでした。 |
「いい加減ヤバいんじゃない?」 開催2ヶ月程前からホテルや主催者からのメールを受け取りバウチャーと招待状が来るのを待っているのだが、もう2週間前だというのに一向にその気配がない。 僕の主アドレスでは向こうのサーバーに拒否されるため今泉さんに全てお任せしていたのだが、、、。それもフィルタにかかっているのか? 今泉さんはこれから仕事が立て込んでいくのでそれどころではない。ロシアは宿泊先のバウチャーや向こうの招待状を添えてビザを申請、取得しないと渡航できない。 エアーはもう既に(大韓航空)取得(7月3日ー12日)済み。ビザは直前でも緊急取得という方法があるが、バカ高くなる。 あわてて僕のGメールから主催者にメールで問い合わせすると、なんと「君達から何の連絡もないので来ないのかと思っていたよ。」だと、、、、。 「ホテルの部屋がとれないかもしれないけど、とりあえずパスポートのコピーを送って。」 ここから主催者と急激なやりとりが続き、なんとかホテルやスタート地点へ移動の寝台列車のチケットの予約、招待状、バウチャーをもらいビザを手にしたのはなんと出発2日前。 1月の大村200kに今泉さんが東京から参加したときに、 今泉「今年はロッキー1200kがありますよね?」 僕「それよりロシアが1200kをやるそうだよ、白夜なんてどう?こんな機会でもないかぎりロシアになんて行けないよ。」 今泉「ほう!それはぜひ行かないと。」
僕らはとりあえずエントリーを済ませエアーを取得、ホテルから予約の問い合わせや主催者からのメールも受け取っていたのだが冒頭のような次第。 いろいろ不安を抱えながらもとりあえず二人して日本を出発。 僕は福岡、今泉さんは成田から,ソウルで落ち合いインチョン空港をトランスファーしてサンクトペテルブルクのプルコブォ空港に到着したのが7月3日の22:30。 ゲートを出るとホテルに頼んでいたタクシーが迎えに来ていた。しかし二人のバイクケースが大きくもう一台タクシーを呼ぶ事に。 さすがに白夜の季節、空はまだ明るい。ホテルではチェックイン時にパスポートを一時預け宿泊登録をしないといけない。 登録が済んでパスポートを返してもらうまで勝手にうろうろはできない。どちらにせよその日はシャーワーを浴びて寝るだけだからかまわなかったが。
翌朝(7月4日)、朝食時に登録書とパスポートを返してもらう。 今日は夕方発の寝台列車に乗ってVologdaに行かないといけない(その時はいつ誰からチケットをもらうのかさえも知らなかった)。 ロビーに居るとドイツ人のクナウスとベルギー人のユーハム(ジョン)と仲良くなる。 「これから市内観光に行くが君達もどうか?」ということでチェックアウトを済まし、荷物を預けてお供することに。 まず広場のレーニン像の前で写真撮影、メトロ(ものすごく地下深い)に乗ってメインのネフスキー大通りへ。カザン聖堂や血の上の救世主教会を見て、マルスの原を抜けトロイッキー橋にてネヴァ川を渡る。 ここで皆で昼食のためおしゃれなレストランへ入る。僕は念願の本場のビーフストロガノフ(ライスではなくマッシュポテト)とボルシチをオーダー。 食後、一旦ホテルに戻りデイバッグ(バイクケースは主催者がトラックで運ぶらしい)を担いでラドーガ駅へ向かう。 みんなして駅の広場で待つが一向に主催者が現れない。列車の出発時刻20分前になり、さすがにみんな慌てだす。 とりあえずホームに向かい、列車の前に行くとやっと代表のミハエルと会えた。あわてて部屋番号を告げられ列車に乗り込む。 列車は2等で上下2段ベッドが2列の4人一部屋で僕らは2階、下にはロシア人の中年(軍人)と若者(ポリス)の二人。 売り子がきたのでコーヒーを注文、下のテーブルで飲んでいると中年のロシア人が何か話しかけてくる。そのうちバッグからウォッカを取り出し一緒に飲もうということに。 お互い言葉はわからないが、旅は道連れというか和気藹々と酒が進みあっという間にウォッカの瓶が空に。すると今度はなんとブランデーが出てきた。 僕ら二人はふらふらで2階のベッドへ。
翌日(7月5日)は二人とも二日酔い、僕はまだ朝飯が食べられたが、今泉さんは完璧にグロッキー。 ここでルートやPC等の説明(直前に変更)、ナンバープレートやキューシート(英語版)、ブルベカード、DB(2箇所)の袋、ジャージをもらう。 運んでもらったバイクをおのおのそこで組み立て、空のケースを預け宿へ帰る。みんな僕がリカンベントを組み立てるのを面白そうに見ていた。
スタート(7月6日)は朝7時、宿の玄関前に女性スタッフがいてみんなのDBを集める。 いつどこでスタートが始まるのだろうと思っていると、「みんなの荷物は私がちゃんと届けるから行っていいよ。」と言う。 だんだんみんな居なくなっていくので今泉さんとみんなについて走り出す。昨日の集合場所に行くのかと思っているとそのうちスピードが上がり、 今泉「これもうスタートしてますよ。」 僕「えっ!ホントだ!」、GPSを確認する。 すると左折場所をみんな右折(南下)して行く。 今泉「これ逆に向かってますよね。」 僕らがルートの変更資料を受け取ったのが6月29日、それからまた変更があったのか? 二人で停まってしばらく待つが、僕らは最終みたいで誰も来ない。今泉さんが英語のわかるスタッフにTelするが、「ミハエルに聞いてみるね。」との返事。 みんなについて行くか、GPSを信じるか、、、。 僕はリカなのでみんなに付いていけそうもなく、どちらにせよ北上するのはわかっているのでGPSに従いとにかくPC1をめざすことに。 いつかみんなと合流する事を信じてしばらく二人だけでロシアの道を進んでいく(なんとも初っぱなからこのありさま、先が思いやられる、というよりものすごく不安に、、、。) ロシアの抜けるような空はどこまでも青く、真っ白な雲がふわふわと浮かぶ。1,2時間程すると後ろから猛スピードで先頭集団がやってきた(ここで二人はやっとホッとする)。 みんながミスルートだったのか、どこかにスタート場所があったのかは不明。どんどん追い抜かれ、結局また二人旅に。
今回、獲得標高が4-5000mということでリカでも大丈夫だと思っていたのだが大間違い。 道路状況がこれほど劣悪だとは想像していなかった、まさにデコボコ、というより穴だらけ(笑)。 たしかに平坦なのだがスピードがまったくのらない。穴に落ちないように避けながら走るというほうが正しいか。 ロードの今泉さんとはスピードが合わないので先に行ってもらうことに。 PC-1(96k)、11:16着 ここは道端に作った有人PCで今泉さんに遅れること15分ぐらい。 道が悪くGPSがステーから外れるのでテープでぐるぐる巻きにスタッフがしてくれた。そのときポールの国旗が逆なのを教えられる(失礼しました)。 パンやジュースを食べ、ボトルに水を補給、バナナをもらって再スタート。 道はどこまでも真っ直ぐ、アップダウンはないのだがとにかく道が悪い。バウンドのショックからか左膝がなんとなくおかしい。 PC-2(157k)、14:30着 天気がよく、暑さでまいりそうだったので100mほど手前のGSのBarにチェックは後回しにして飛び込む。 何をどう注文していいか戸惑っていると2年前イタリアで会ったニコライが適当にたのんでくれた(スープとジャルコーエ)、これがとてもうまかった。 このPCも道端にスタッフがいて食べ物と水を用意してくれいた。このあたりからだんだん左膝が痛くなる。
PC-3(262k)、20:21着 ここは道端にある休憩所みたいなところでスタッフがパスタやパンなどを用意してくれていた。今泉さんは30分程前に既に出て行ったみたい。 20時過ぎているのに明るいのでまだ15、16時ぐらいの感じ。 水が切れていて今ミハエルが買いに行っているのでしばらく待てと言われる(PCでは必ず水を補給していないと命取りになる、途中には何にもない。) 20分ぐらいしてミハエルが戻るが水は手に入らなかったそうだ。ニコライが15kほど先で水を手に入れるから行こうと誘う。 しかたなく出ようとするとミハエルがジュースでよければ入れて行けと持ってきてくれた(スパシーバ!)。 相変わらず道は悪く膝の痛みも酷くなる。前方には土ぼこりが埃っている。 しばらく工事中の未舗装路を進まなければならず、リカはバランスをとりにくく何度か転びそうになる。 やっと抜けたところにニコライがボトルの水を手にして待っていてくれた。膝の痛みはますます酷くなるばかりで何度か休みながら進む。 走行スタッフなのか追い抜きざまにロシア人が「大丈夫か、何かあれば俺はヘルプする。」と言ってきた。 「大丈夫だが、俺は最後か?」と尋ねるとあと二人ぐらいいるらしい。しばらくするとルーフにバイクを2台積んだ車が追い抜いていった、、、。
PC-4(352k)、02:15着 (7月7日) 白夜の中、湖のそばを通り、崩れかけた教会の跡地みたいなところにテントが用意してあった。スタッフに食事をいただき、寝たいと告げると一つのテントを指示される。 先着者が二人寝ている中に割り込むと一人が「君の友人じゃないか?」と言われ、良く見ると今泉さん(0時頃着)が寝ていた。 僕は寝なくても無理はきくが、今泉さんは4時間はまとめて睡眠時間を確保しないと辛いそうで、本当はもう一つ先(60k)のPCにベッドがあるのでそこまで行くものと思っていた。 彼は僕がここで寝ると言っていたので待っていたらしい。DBがあったので着替える(DBは2箇所だが、なぜか順番が違う)。 クローズは06時半ぐらいだがリカだしスピードが上がらないので結局3時頃に寝て4時には起きて出発することに。 今泉さんはもう少しゆっくりして行くとのことで先に出る。 今日も天気がよく日焼け止めを忘れた僕は真っ黒に焼ける。道は森の間を真っ直ぐ微妙なアップダウンを繰り返す。 数十匹のアブが僕の周りをまとわりついて離れない(道中ずっと昼間はアブ、夜は蚊の大群に悩まされる)。 PC-5(414k)、08:43着 小さな町の学校みたいなところで食事をいただきトイレに行ってびっくり。扉もしきりもなくただ便器が並んでいるだけ(もちろん便座はなし)。 幸い誰もいなかったので座ってみましたが(笑)。入れ替わりに今泉さんも到着、先に出発する。 相変わらずアブに追い回され、手で払いながら走行。しばらくして今泉さんが追いついて抜いていく。 今回僕は誰も抜くことなくPCで後に出た者にただ抜かれるだけという状態。 PCクローズ1-2時間前に出発の繰り返し。 PC-6(473k)、12:54着 小さなキャンプ場という感じ。 スタッフがパスタを作っていたが、僕は先を急ぎたかったのでパンを食べてすぐに出発する。 左膝の痛みはずっと続いているが、途中から道がよくなり少しだが時間を稼ぐ事ができた。 |
PC-7(534k)、16:36着 脇道を左折すると水溜りがあり、その脇をすり抜けていくと川には木の橋が。 落ちないように渡った湖(Onega)のほとりにスタッフがいて、飯ごうを火にかけ、ちょっとしたキャンプ。 軽く食事をいただき、もと来た道(橋を渡り、水溜りを抜け)を戻る。 今泉さんは先に行っているようでここには既にいなかった。 PC-8(633k)、23:04着 ここは折り返しポイントで、途中今泉さんとすれ違う(途中パンクした事もあり3時間程の差か)。PC-7のOnega湖の反対側に来たようで、ここも湖畔のキャンプという感じでした。 テントで30分ほど横になるが眠れず先に進むことにする。とにかく白夜なので時間の感覚がない。ライトもいらないので電池もGPS以外は減らない。 折り返しポイントまでは上り基調でかなりの勾配もあり、何度か押して歩く事に。折り返しポイント付近でルートを外れていることに気づき引き返すが、向こうからロシア人が来る。 彼はこのままでいいと言うが、GPSは手前で左折している。しばらくやりとりしていた(彼はTELでも確認していた)が、はぐれるとわからなくなるので僕はGPSに従うことに。 しかしその道は砂場みたいな所でとても走れる状態じゃない(今泉さんはそれでも行ったらしい)。ロシア人はもう先に行っているが、何とかGPSをたよりにルートを捜しながら進む。 少し遠回りをしながらもルート(道も良くなった)に復帰することができた、先ほどのロシア人も遠くに見える。しかしここから猛烈な眠気に襲われ何度も道端に座り込む。 PC-9(735k)、08:17着 (7月8日) 日が昇るにつれ元気もでてなんとか到着。ここも学校みたいなところだった。トイレは仕切りはあるがドアがない(笑)。 食事をして、DBがあったので着替え、少し休んで出発、なにしろ時間がない。
PC-10(826k)、16:33着 途中工事で片側交互通行があったが、道は良かった。急にハンドルを取られスリップしたと思ったら塗り替えた白線が乾いてなくてタイヤにべっとり。こんなことは初めて、、、。 道が悪く足を痛めたことを話していた時に、「この先もこんなデコボコ道が続くのか?」と聞くと「ああ、まだまだ続くよ。」「Why?」「It‘s Russia Ha Ha.」みんなで笑っていた。 膝の痛みに加え右のアキレス腱が痛くなる。 PC-11(901k)、22:02着 ここまで来るのにはかなりのアップダウンがあったように思うが、道は良かった。湖のそばの保養所みたいな感じだが本当の所はわからない。 食事をしているとPC-13と14が変更になったらしいが何がどう変わったのかもわからない。このへんはもうどうでもいいような気がしていたのだろう(笑)。 「次のPCで確認してみるよ。」と言って出発する。 そうそう、ここのトイレは便器ではなく、ただ穴があるだけでした(驚)。 しばらくアップダウンをこなした後、かなりいい道に出る。眠気に襲われながらもいいペースで進む。 遠くで雷が光る、としばらくして雨が降ってきた。だんだん激しくなり、雨具を着ることに(せっかくいい道なのに)。
PC-12(951k)、02:18着 (7月9日) 両足の痛みに耐えながらずぶ濡れになって到着。泥道の中を進み、森の開けた場所のキャンプ場のような所にある崩れかけたトレーラーハウスがPCだった。 階段を上がるのさえ辛く、食事をしてテントで倒れこむように眠る。クローズは06:20、2時間程寝て5時頃には出発する。 走行アベは落ちるばかり、少しでも余裕を残しておかないとゴールクローズに間に合わないかもしれない。次のPCまでアベ15kと目標を決める。 幸い雨は上がり、途中で雨具を脱ぎ身軽になる。 穴こそないが微妙に振動がありスピードが出ない。それでも白線と路肩の間の3-40センチの間のわずかないいところを選んで走るが、路肩は土なので外れるとバランスを崩す。 左膝と右足首の痛みはますますひどくなり、このあたりは泣きながら走っていた。途中からアップダウンのある森の中に入り、町に入る手前の踏み切りで今泉さんと出会う。 一瞬「なんで?」と思うが、ここは折り返しだった事に気づく。 ここで、PC-13はGPSの3k手前を右折した場所に変更になった事、またPC-14は4k先になった事、どちらも案内版(紙に書いてあるだけだが)さえ見落とさなければわかると教えられる。 今泉さんはあいにく夜中で雨が降っていたのでわからず最初のポイントに行って1-2時間途方にくれていたらしい。お互いこの先の健闘を称えて分かれる。 PC-13(1064k)、12:38着 町を抜けた森の中のPCに到着、食事をして足が痛いので氷がないか尋ねてみるがそれは無理だった。かわりにボルタレンの塗り薬があるというので借りて塗る。 次のPCまでアベ14kと設定。足首の痛みは少しだが良くなってきた、しかし膝の痛みは頂点に達し何度も停まっては走り、走っては停まるの繰り返し。 アベ14kも厳しいかもしれない。おまけにまた道は穴だらけで、かなりの勾配の坂が続く。 坂の途中で停まっているとスタッフカーが止まって「大丈夫か?」と聞いてくる。「わからないが、なんとかやってみるよ。」みたいなことを言った、と思う。 ペダルを廻す最初の一踏みがとにかく痛い、激痛に耐えて思い切って廻すとだんだん痛みが薄らいでくる。 なのでくるくる廻し続けているときはいいが、廻しきれず一旦止めたり歩いたりした後の一踏みがこたえる。その繰り返しが延々と続く。 日本ならとっくにやめていただろう、しかしここはロシア、とにかく少しでもゴールに近づくしかない。たとえ時間内にゴールできなくても、、、、。 ロシアの空はどこまでも青く、しかし道は悪い。 |
PC-14(1148k)、 LOST、、、。 GPSのポイントを過ぎ、注意深く案内板を探すがなかなか見つからない。気がつくととっくに4kは過ぎている。 その間平地なら引き返しも考えたが、何度かアップダウンをこなしていたのでとてもそんな気にならない。今泉さんにTELするが繋がらない(彼も何度も僕にしたらしいが一度も繋がる事はなかった)。 ブルベカードやぼろぼろのキューシートを取り出して確認すると15k先にもPCが設定(古い情報)されている、それを期待して前に進む。少しでも戻るという考えはこれっぽっちもおきなかった。 町に入りPCを捜すが、やはり見つからない。とうとう町を過ぎあきらめて停まっていると若いロシア人が来た。止めて聞いてみるとPCはやはり15k手前だったとわかる。 彼は「かまわないから行こう」と言う。引き返す気は毛頭ないが「いいのか?」と聞いてみる。すると彼はミハエルにTelを始めた。 「ミハエルはOK問題ないってさ、それより足の具合はどうかって、みんな心配しているみたいだよ。」 「そうか、スパシーバ、じゃ行く事にするよ。でも一緒に行きたいが足も痛く、リカなので付いていけないから先に行ってよ。」 「ところでゴールまであと何キロなの?」「35kぐらいかな。」「コースはどんな?」「かなりアップダウンだよ、ずっーとね。」 「OK、すまないが水を少しわけてくれないか?」「ジュースだけどいいか?」「スパシーバ。」 たぶんこんな会話だったと、思う。 時刻は22時頃、残り35kを3時間、アベ12k、普通なら問題ないが今回は間に合わないかもしれない。 彼の言うとおりここからゴールまではアップダウンの連続、何度歩いた事か、、、。 いくらなんでも最後の最後にこれはないだろう(ゴール後に今泉さんと交わした言葉)。 すばらしいLadoga湖の景色を楽しむ余裕などとてもなかった。
Finish(1211k)、00:38着 (7月10日) 町の中に入り最後の登りを終え、とうとうゴールのホテルに到着、ペダルから足を外すとそのまま転んでしまった。 スタッフが駆け寄り起してくれ、僕のリカを中に運んでくれる。中に入るとみんなが「ヒーローが帰ってきたぞ!!」とはやしたてる。 リカンベントに乗った日本人がめずらしく、しかも足を痛めて走っている、さてゴールできるか、という設定が面白かったのだろう。 ミハエルもやってきて「おめでとう、OK、カードを提出して」「スパシーバ」。 今泉さんは18時頃ゴールしていたそうで、僕がPC-8から9で違う方向に行った事やPC-14に現れなかった事、35k手前で見たという情報等、みんなが心配していた事を知らされる。 何も食べていなかったので食事をいただき、シャワーを浴びて久しぶりのベッド(最初はないと聞いていたが僕のために用意してくれたみたい)に横になる。 LadogaからSaint-Petersburg へ 目が覚め、食事を済ませ、バイクをばらしてケースへ入れる。荷物をバッグに詰めSaint-Petersburg の駅へ行く者は大型バス、ホテルへ行く外人参加者はウラジミール(英語がわかる)運転のバンに乗り込む。 ここから自走で向かうという強者のフィンランド人もいた。 どう考えても載らないだろうというバイクケースを無理やり詰め込み正午にスタート。途中レストランで食事をして5時間かけてSaint-Petersburg のホテルに戻ってきた。 荷物をみんなで部屋に運び終え一休み。夕方(白夜なのでいつが夕方かわからない)にどこかのカフェでパーティがあるということでタクシーを呼びみんなで出かける。
7月11日 明日のフライトまで一日あるので痛い足を引きずりながらも二人で市内観光に出かける。 エルミタージュ美術館を見た後、宮殿橋(はね橋)を渡りブァシリエフスキー島のロストラの灯台柱を見て、お土産屋でマトリョーシュカを手に入れる。、 その後、今泉さんの希望で観覧車を見学に遊園地へ(ここの絶叫マシンの数々はありえない程強烈でした)。 ホテルに戻ると夕方ミハエルがみんなの完走記念メダル(焼印の押された木製)をもって来てくれた。 その日は近所にある日本食レストランでおかしな寿司を食べた。 7月12日 出発は夜の23:50なので20時頃にタクシーを予約、チェックアウトを済まして観光へ。 スモーリヌイ聖堂まで足をのばし、帰りにイサク聖堂を見て夕食をすましホテルでタクシーを待つ。 時間通りにタクシーが来て空港へ送ってもらい、ソウルのインチョン空港で最後の食事をして今泉さんとは別れそれぞれ帰国の途へ。
あとがき 近くて遠い国ロシア、まさか行く事があるなんて思ってもいませんでした。たぶんブルベをやっていなければ行く事はなかったでしょう。 また、ツアーなどでは味わえないロシアの一面に触れることができた事はいい思い出になるでしょう。 すばらしい自然、白夜、大きな湖、おいしい料理、なによりロシア人の親切さ、特に全てのPCでのスタッフのありがたさ。 まだまだ書きたい事、面白かった事、辛かった事、知ってほしい事などたくさんありますが、それはみなさんとどこかでお会いしたときにでも、、、、。 最後にMikhail Kamentsev代表はじめ、ウラジミール、ニコライ、Team Baltic Starのみなさん、ロシアまた各国の参加者のみなさん、たいへんお世話になりました。 今泉さん、イタリアに続き今回もご一緒できて楽しかったです、今泉さんが僕より先に既にエントリーを終えてなかったら本当に行ってたかどうか(笑) みんなありがとう、スパシーバ!ダスヴィダーニャ!! Report : Chikara IWAMOTO, June. 21. 2012 Photo : Hiroshi IMAIZUMI, Chikara IWAMOTO, BALTIC STAR Forum |
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