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PBPと並んで国際的なブルベにLELがあります。4年に1度開催され、31ヶ国からの参加があります。PBPが5000人を迎えるのに対しLELは600人程度と中規模です。 ブルベ界の異端児が、痛いレポートをお送りします。(今泉 洋) |
家に帰るまでが遠足です---------リンレンと羊を追って1400km
INDEX 自己紹介 LEL参加への動機 LELの準備 Welcome to LEL2009 あわただしい出国 キレる入国審査官 観光日 登録日[Registration] LEL -1日目スタートはCheshunt駅 LEL -2日目寒さで目が覚める LEL -3日目小雨のスタート LEL -4日目雨の峠越えから LEL -5日目最終日となる予定の日 エピローグ |
2009/7/26にイギリスで開催された、ロンドン-エジンバラ-ロンドンの1400kmブルベに参加してきました。
僕は最近日本全国のブルベを絵のついたディスクホイールで走っています。この 絵がいったい何なのかと質問されることがあります。 ディスクに貼っているキャラクタ(鏡音リン・レン)は、コンピュータで人の歌声を合成するソフトのイメージキャラクターです。 僕はアマチュアとして、作曲した曲を歌ってもらったり(*1)、バンドのボーカルに利用したり(*2)していて、愛着のある機材のひとつなのです。
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もともと僕が自転車に乗り始めたのは、大学生活の終わりに友達と北海道までツーリングをするためでした。 そう思っていたはずなのに、気がつけば2007年にパリ-ブレスト1200kmを制限時間ギリギリで完走。雨で象のようにふやけた足の痛みを感じつつも、ゴール後の会場に "LEL1400km" の宣伝を見つけていました。
ところが2008年末、LELのサイトを何気なく見てみると「イベントは定員に達しました」とありました。予想よりかなり早い締め切りです。 |
送金と参加受理がうまくいったのか不安になった6月末、主催者からメールが届きました。Wordで5ページの丁寧な参加案内と、PDFで8ページのキューシート(Route Sheet)です! 喜び勇んで参加案内を日本語訳しました。 ルート上には家畜逃走を防止する鉄の柵があるそうで、「ここに噂のパンク妖精が住んでいる」などと洒落たことが書かれています。北に行けば行くほど、路上に羊がいるのが当たり前・・・! |
重量オーバーが気になる空港での荷物預かり。「23.9kgまではスポーツ用品ってことで大目に見られるんですけどね~」と係員に気さくに話していただき、中身を調整して自転車を預けます。気がかりだったBOULDER SPORTS(肌荒れ防止スプレー)も問題なく通過し、一安心です。 成田で都合600GBPを両替し、12時間のフライト。旅支度の疲れからほとんど寝ている間にヒースローに到着しました。 入国カードの書式が変わっていて、どのガイドブックにも載っていないことに一抹の不安を感じつつ、さあ緊張の入国審査です。 |
僕は日常、英語を話す機会は皆無であり、1年ぶりでいきなり話すのがイミグレーションの場になります。常に混雑していて早く終わらせなくてはならないというプレッシャーがかかる中で、ネイティブな発音を聞かなくてはなりません。 「何日の滞在?」「ホテルの名前は?」までは良かったのですが、「10日間ずっとこのホテルに居るの?」あたりから回答につまります。(いいえ、半分は野宿かもしれませんが? とはとても言えません) 最後の質問「この旅行が終わったらあなたはどこに行きますか?」で詰まりました。 旅行が終わる = 家に帰るまでが遠足です = 帰宅 帰宅後にどこに行くとはどういう意味なのか? 翌日は仕事だし、次の週末はBRM808/809だ。うーん、うーん。と唸っていると、さすがに審査官がキレました。 「だから! お前の国に帰るのか! 家に帰るのか! それとも他にどこかへ行くのか聞いてるんだ!!」 ああ!そういうことか。すみません帰ります、おうちに帰ります!! ・・・この旅行でこれほど冷や汗をかいたことはありません。しかし、こんなことでヘコんでいる暇はありません。地下鉄に乗るためにSuicaのような Oysterカードというのを窓口で購入します。この係員の対応が先ほどと比べてあまりにも親切で、まるで神様のように思えたものでした。 そして、このカードのケースカバーには、こう書いてありました。 「家に帰るまでが遠足です」 だよねぇ・・・・。 その後、地下鉄を乗り継ぎ、宿に到着。4階まで荷物を押し上げたらもうクタクタになってしまい、そのままベッドに倒れこむと深い眠りに落ちました。 |
このブルベ参加にあたり、"Renn"という名のクリンチャーディスクホイールを導入しました。そこに貼るLELスペシャルの新しいシールのため、各方面に多大なるご尽力をいただきました。これには行動を以って返礼するのが仁義というものでしょう。そんなわけで、ロンドンの街中を堂々と痛ディスクで走行します。 まずウェストミンスター橋を渡り、ビッグベンとロンドンアイを鑑賞します。 ロンドン塔からタワーブリッジを渡り、一路グリニッジ天文台を目指していると、スポーツ自転車店を見つけました。日本国内でもなかなか見つけられないのに! 感動して中に入ります。もってくるのを忘れたウォーターボトル、そして頑丈な「鍵」を購入。ついでにPowerBarも2本買っておきました。(これが後々大きな助けになります) UKではロードレーサーも普通にたくさん走っており、自転車専門店が多い環境なんですね。 店を出ると2人のサイクリストが声をかけてきました。「すごい、ナイスなホイールカバーじゃないか! どうやって作ったんだい?」「どこから来たの、やっぱり日本?」 そうさ、特注なんだぜと答えつつ、思いのほか痛ディスクへの反応が好感触なのに安堵しました。 グリニッジ天文台でGPSの緯度が0.000になるのを確認し、高台から町を見下ろします。屋台のベーコンバーガーをテイクアウトしてゆっくり昼下がりを楽しみました。 ここまで半そででも暖かく日焼けする感じでしたが、ハイドパークを目指していると急に雨が降ってきました。すぐ止むだろうと思っていましたが、結構な本降りです。一気に震えるほど寒くなりました。もう一度タワーブリッジを通り、ビッグベンまで戻ってきたところで晴れ間が覗き、また暑く感じます。この急激な気温変化に、明日からの走行に一抹の不安を覚えました。 一通り自転車で走ったので、今度は地下鉄でロンドンアイを目指します。このときはひどい雨でした。 テロを警戒して手荷物検査をされましたが、怪しいものは入っていません。これらは「撮影機材」なのですから。他の乗客から見つからないように「撮影機材」を組み立てて、こっそりと撮影を敢行します。これで当初予定していたミッションは完了です。テムズ川沿いに歩いてホテルに戻り、mixiに日記を書いて寝ました。 |
土日はホテル至近の地下鉄Victoria Lineが工事のため止まります。そこですべての荷物を背負って自転車で移動します。 London Underground のサイトで色々な回避策を調べ、適当な駅から輪行しようと考えていたのですが・・・結局面倒になって受付まで自走してしまいました。市街地を離れると急に走りやすくなるのは万国共通のようです。 早く着きすぎてしまったので、「町で一番おいしいフィッシュ&チップス」屋さんで腹ごしらえ。 受付時間に戻ってみると・・・長い行列ができていました。これが噂の「キュー」という待ち行列か! 2時間ほど経過したでしょうか・・・。ようやく受付です。「じゃあ、8時スタートでいいよね?」 えっ? 僕は14時スタートと聞いていたので、そのつもりで準備していました。しかし選択の余地はなく、ここにきて計画変更を余儀なくされます。スタート地点至近のホテルを予約していて正解でした! これで終わりかと思ったら、おみやげを受け取る「第2のQueue」が待っていました・・・。皆、強い日差しで首の後ろが真っ赤です。 "Crazy, crazy! See you tomorrow!" と参加者が苦笑していたのがとても印象的でした。
ここでイギリス在住の関戸さん、フランスから直行の坂東さん、そして日本からの高橋さんとお会いしました。 一度ホテルにチェックインし、ドロップバッグを用意して受付会場に戻り前日のパーティに参加します。しかしどこにも他の日本人参加者は見当たらず、主催者の話が終わったところでホテルに戻りました。 問題は14時スタートのつもりが8時スタートになったこと。なにしろまだGPSにルートの入力が終わっていなかったのです。夜が更ける前までに何とか入力を終わらせて、急いで眠りました。 |
豪華な朝食を途中で止め、急いでスタート地点に向かいます。ドロップバッグは、1つは海外用輪行袋。これは寝袋にも使えます。もう1つはメッセンジャーバッグPro、つまりすべての荷物を「ドロップバッグ」として預けてしまいました。 なんとなく集団についてCheshunt駅の横に集まりますが、やはり日本人の中で8:00スタートは僕だけのようです。 ところで、ブルベカードにスタートのチェックがありません。近くの人に「サインは要らないんでしょうか?」と聞くと「ああ、誰もしていないさ!」という気楽な返事。確かに、多分必要ないのでしょう。フィリップさんと名乗られたその方と握手し、互いの健闘を祈ります。 8時になり、なんとなく歓声が上がり、なんとなくスタートしました。 うーん・・・。確かにこれだけの人がサインなくスタートしたのだから、問題はないのだろう。しかし僕は今年、国内ブルベでスタートサインを2回ほどもらわずスタートして失格になりかかっていることから、念のためスタッフが詰めているYHAに行ってみることにしました。 「スタートサインは要らないんですか?」すると、「必要よ。上に行ってもらってきて」と女性スタッフ。「あれ、要らないんじゃないの?」と別スタッフ。「いや、スタートの時間が分からないといけないから必要なのよ」 うーん、どっちなんだろう。2Fまで登り、「スタートのサインをもらいにきたんですけど」と言うと「はは、そんなもの要らないよ。自分のブルベカードにある時間になったら駅に行って、自由にスタートすればいいのさ!」たぶん、これが正解です。スタートに戻ろうとしたら鉄道の遮断機が降りていて、電車の通過を待ってから一人コースに戻ります。 ▲快調な滑り出し
スタートからしばらくはアップダウンが続きます。でもそういうのは僕は好きな方です。ディスクホイールをゴロゴロ言わせながら走ると・・・「うるさいホイールねえ」「あら、ディスクじゃないの!」と、マダム方を驚かせてしまいました。失礼いたしました。 昼過ぎにはTHURLBYに到着しました。 ようこそThurlbyへ。と各国語で書かれたウェルカムボード。その中に「歓迎する GAMBATTE!」という語句を発見、思わず「すごい」と声に出ました。これを書かれたのはどなたですか? と聞いてみると、年配の男性スタッフであることがわかりました。「どう、あの漢字ちゃんと読める?」読めますとも! しかもそれだけではなかった。厨房にいらしたマダムは「まあ、日本人じゃないの。」『こんにちは』『おはようございます』『きょうはいいてんきですね』と、スラスラと日本語で話し始めました。たった4~5人である日本人参加者のためにそこまで用意してくださったのでしょうか? とても感激です。去り際に「おじき」をし、「ありがとうございます、頑張ります!」と日本語で伝えてコントロールを後にしました。 ▲雨と日没しばらくすると小雨が降ったりやんだりという天気になってきました。 橋の横に止まっているライダーが居たのでパンクかと声をかけたら、レインコートを着るところだったようです。彼の方が僕より2割ほど早い感じです。 このLELではひたすらにマイペースで平和な走りをしたかったのですが、ここからは彼に追いついて走るので精一杯。激しくなる雨の中、信号がないので補給するタイミングも無く、ハンガーノック気味になりましたが、日没(21時頃)前に目的地に到着しました。
「僕はここで寝ます」「そうかい、次のコントロールまで行くと効率的だから、先に行くよ」
「夜間走行ですね、どうぞお気をつけて」「ははは、いつものことさ。君も気をつけてね」 ここで寝るのは2人目のようです。濡れ鼠状態でしたのでシャワーを浴び、それでも震えながら睡眠用CW-Xに着替えて軍隊式簡易ベッドに横になり、mixiに日記を書いて寝ました。 |
コンクリートから浮いてはいるものの、小さめのブランケットでは少々きつく、日の出(5時頃)前に寒さで目が覚めてしまいました。しかし日本時間では真昼ですから、帰国後のことを考えれば今起きた方がいいでしょう。 昨日は暗くて気づきませんでしたが、このあたりにはポプラがたくさん自生しているようです。 広大な風景の中に、石垣で囲まれた農地に羊の群れを見る機会も徐々に増えてきました。こちらもまた、ホイールと一緒に羊の画像を撮影してmixiに書き込むという大きな目標があるため、カメラは2台常にスタンバイ状態です。(防水のOptioW60と、夜景用LumixLX3) ▲小学校でのささいなトラブルMIDDLETON TYASに昼頃到着。小学校の食堂でメニューの紙を渡されます。好きなだけ注文していいと言われ嬉しくなり、何も考えずにたくさんチェックをつけておきます。 厨房での準備が終わると番号がコールされるので、自分のライダー番号を呼ばれたら手を挙げるようです。 30分が経過したところで、当初予定していたスタート時間を過ぎました。たくさん頼みすぎたでしょうか。でも制限時間はたっぷり残っています。落ち着いて来るのを待つことにします。 45分が経過したところで、関戸さんにお会いしました。「食事は待ち時間が長いでしょう、僕は頼むのをやめましたよ」と告げ、関戸さんは行ってしまいました。 60分が経過したところで、いくらなんでもこれはおかしいのではないか? と思い、スタッフに確認してみました。 「僕は585番ですが、まだですか?」「585? いや、もうコールしたよ。あの人じゃないの?」 指差された人を見ると、確かに食事中です。話を聞いてみると、彼は185番のライダーでしたが、間違って手を上げたようです・・・。 「ごめん。僕は英語が苦手だから、たまにこういう出来事に驚かされるんだ」 彼の注文した皿が来るのを待って食べますが、相当に量が少なくなっていました。スタッフは気を利かせてアイスクリームをサービスしてくれました。 ▲羊がいる丘を越えてこのコース最高地点である標高598mの丘を越えます。しかしずっとなだらかな道なのでコース的な問題はありません。
次のコントロールALSTONでは、スタッフにビデオ片手に聞かれました。「これはディスクホイール?」「そうです」「これはMANGAよね?」「そう・・・ですね。」 今回僕は毎日日没までにはコントロールに到着してゆっくり寝たいと思っていました。昼飯でだいぶ時間をロスしたので、最後はそれなりに急いで走ります。集団を抜いたら一人飛び出してついてきました。 主要国道に出て、大きな標識が現れました。スコットランドへようこそ。「写真を撮るから、先に行ってください」とお願いして撮影しますが、道の先で彼は待っていてくれました。申し訳ない、しかし感謝して一緒に走ります。 ESKDALEMUIRには日没とほぼ同時に到着、今日はアントンさんに助けられました。 「ありがとう、とても助かりました。」「? 助けたって、何を?」 |
たっぷりと睡眠をとり、ゆっくり朝食を採ってスタート。コントロールに8時間以上滞在し、今日も気分はツーリングです。 しばらく山道を登り、雨から晴れに切り替わったその瞬間。はっきりと虹の中を走っていることに気づきました。360度とはいきませんが、開けた大地に何にも隠されることなくつながって見えたことに感動、「虹だ!」と叫んでデジカメ撮影。でも他の参加者はあまり興味が無いのか、日本人は写真が好きなんだなあという感じで通り過ぎて行きました。 しばらく走っていると、「あなたはUKの人ですか?」と声をかけられました。いいえ違いますが、なぜですか? と聞くと、「だってUKのキャップを被っているから」 「ああ、LELに参加するから買ったんですよ」と回答、しばらくNo.1ゼッケンのJohnさんと会話をしました。彼の友達であるイタリアの方を紹介されたりしたのですが、イタリア語が分からず挫折。パンク妖精をかわしながら登っているうちに、見えなくなってしまいました。 シークレットコントロールで巨大なケーキをいただき、いよいよ折り返し地点を目指します。 ▲フレッシュ - ベロシオ発見しばらく走ると、声が聞こえました。「お、Japanese Boy がやってきたぞ!」 Boy = 少年 日本人は海外で若く見えるというが、確かに見た目は若く見えるかもしれない。そして精神年齢も幼い自覚があるので苦笑するしかありません。 ふと見ると、フレッシュと書かれたプレートにベロシオ人形をつけて走ってるではありませんか。なんだ、仲間ですか(笑) 写真を撮ってもいいですかと挨拶してお話ししました。 ▲折り返し地点、しかし・・・天候もとてもよく、気分は最高。9:30頃にはDALKEITH 716kmポイントに到着です。ここには標準でドロップバッグを預けることができるのですが、特に必要なものがなかったのでそのまま送り返してもらいます。 欲張って大量に食料を補給しつつ、考えます。ロンドン-エジンバラに参加していて、ロンドン市街は自転車で走った。しかしこのコントロールはエジンバラ市街から12kmほど南にあるのです。観光ガイドに載っているようなところまで、もうあとほんの少しなのに、ここまできて引き返してよいものだろうか? もちろん、答えは決まっています。 ▲エジンバラ城を目指してここから先は完全な自己責任。コースをはずれ、一路北を目指します。こんなとき下調べをあまりしていなくても、GPSにヨーロッパ地図が入っていれば交通法規に従ったナビをしてくれるので助かります。 しばらく進むと、反射素材をきたおじいさんが、後輪がツルツルになった自転車を逆さにして、道端で困った様子でした。つい、LEL参加者のつもりで「大丈夫ですか?」と声をかけましたが、すでにブルベのエリアを離れていたのです。変な外人に思われないでしょうか。
「ああ、問題ないよ。ただちょっと後輪が減ってしまってね。君のはロードレーサーだろう? わしのとはサイズが違うし、取り付けられないんだ」確かに、みるとVブレーキに、ツーリング用の太いタイヤです。 GPSナビを使うようになって忘れていましたが、ツーリングの醍醐味は、このようなまだ見知らぬ仲間との会話だったりするのではないか。異国の地でそう感じながら言葉を続けました。 「そうですか、助けられなくて残念です」「いやいや、気にすることはないさ」 ロンドンで真っ赤な2階建てバスが走るのは知っていましたが、エジンバラではクリーム色の2階建てバスが普通に走っているとは知りませんでした。町の中心が近づくと一気ににぎやかになります。ヨーロピアンな建造物と石畳を拝みつつ、エジンバラ城に向かいます。さすがに観光地そのものへ入ってしまうと時間もかかるし盗難も心配なので、横から眺められる位置に止まりました。 さあいよいよミッションです。撮影機材(別名ねんどろいど)をこっそり組み立てます。この容積が思いのほか大きかったので、フロントバッグだけでなくメッセンジャーバッグも背負うことになってしまった。その最大の目的は、エジンバラ城をバックに写真撮影をすることなのでした。
風が強く、とても置いての撮影は不可能と判断。手に握ったままで撮影を強行。 風向きが変わって向かい風。本日の目的地までどのくらいかかるか不安になりペースを上げますが、感覚的には「吹き飛ばされてしまうのではいか」と思うほどの強風です。また、気づくと後ろに何人もついていて、これでは止まることができません。必死に走り、ようやく出てきた信号で停止します。 現に、ここから急速なペースダウンが始まりました。どうも、腹の調子が本格的に悪化してきました。今もしオナラをしようとしたら、「大惨事」を招く。レーパンとともに人としての尊厳が破壊される。そんな調子です。今朝食べた、消費期限を1日すぎたパンが悪かったのだろうか。しかし何があっても走る以外の選択肢はありません。 雨が降ってきました。そして風はいよいよ強く、嵐と呼ぶにふさわしくなってきました。
ついにあたりは暗くなってきました。そして登り坂です。今朝までの勢いが信じられません。
気がつくと心拍数が67bpmまで落ちていて、これはほとんど寝ているような状態です。 フロントバッグを探ると、「バランス栄養食」と「パワーバー」が出てきました。 頼む、効いてくれ。これらの機能性食品に賭けることにして、無理やり口に押し込むと気合で走り始めました。 通常このような緊急装備はあくまで緊急時のためのものであり、使うことはありません。しかし今回は・・・ 非常に役に立ちました。プラシーボかもしれません。しかし、30分後、僕は集団に追いついて、ダリにそっくりな髭をたくわえた参加者とともに夜中のALSTONに到着することができました!
羊ホイールに笑ってくれたスタッフがビデオ片手に聞いてきました。「どう、天気はひどかった?」
それだけ告げて、トイレにこもった後、暖かいベッドにもぐりこむことができました。 |
もっとゆっくり寝るつもりでしたが、同室の人が次々と起床し「昨日の嵐はすごかったよなあ!ははは!」と大声で会話していたりして、目が覚めてしまいました。それでも5時間以上寝られ、ある程度の回復ができました。 天気は相変わらずの雨で、覚悟を決めて標高598mを目指して登ります。本当は寒いので止まりたくありません。しかし、ディスクと羊を写真に納める可能性があるならば、立ち止まって撮影を行います。
「なあ、あいつさっき見なかったっけ?」「ああ、写真を撮っていたんだろう・・・」 峠までは問題なく到着、ここからの下りがどの程度寒いかが問題です。しかも、ここからパンク妖精CattleGridが連続しているのです。しかし神は味方しました、下山すればするほど天候は回復し、ついに晴天となりました。 しかし晴天になると、今度は暑くて仕方が無いのです! ▲悩みは1つに走行距離が1000kmを突破。加藤元AJ会長は2003PBPの残りが400kmになったとき、これでゴールできたと確信したという手記を思い出しました。しかし、全然そのような心境にはなれませんでした。
今の悩みはなんだろう。おなかが痛い。眠い。寒い。寒い。寒い。 まだ気合が足りないようだ。僕は後ろを振り返り、万一倒れても問題ないのを確認してから、全力で顔を殴ることにしました。すると・・・フロントバッグの重さでバランスを崩し、僕は路肩に突っ込んでいました。 がっしゃーん軽く。あくまで軽く落車し、本能のとる防御姿勢のままでアスファルトに落下しました。 !!! 痛っ・・・・・・てぇーーーーーーーー!!!何週間か前、僕は落車で肘の皮膚を1×3cmばかり失っていました。寸分違わぬ位置を、したたかにアスファルトに打ち付けていたのです。 痛い。痛い。痛ーい!一気に目が覚め、腹の調子や眠さ、寒さなど、本当にどうでもよくなりました。そう、そんなのは甘えていたに過ぎなかったのです。ただ「痛い」ということが、今の僕を元気にしています。そのうち雨が服を通過して傷口に到達、また叫びたいほどの痛みを感じましたが、お陰で元気に走ることができました。 ※言うまでもないですが、こんなバカなことは皆様どうぞ体験されませんように・・・ ▲でもやっぱり寒いねコース途中に立派なポプラ並木を発見、動画撮影などをしていたのですが、気がつけば雨の降る中、ついに日没です。 そんなに気温が低いはずはないのです。しかし体が熱を発してくれないと、どうしようもない。ここは全力で走るしかありません。 幸いなことに、コースが東へと向かい、南西の風が悪影響を及ぼさなくなってきました。美しい市街地を抜け、完全に暗くなった頃には1184km地点にたどり着くことができました。 ▲シャワールームでの会話それにしてもなぜ毎日寝る直前には完全な濡れネズミ状態になっているのか。確率75%はおかしいだろうと思いながら朦朧としていると、スタッフの方が「シャワーを浴びてきたらどうだい?」と勧めてくれ、別棟のシャワー室へと案内してくれました。 暖かいシャワーを浴びながら傷口を見ると、大したことはありませんでした。きっと前回の落車の傷がひどかったので、再生するときに盛り上がった傷跡がプロテクター代わりになり、ちょっと血が出た程度で済んだようです。
しばらくすると、恐らくアメリカ人男性が入ってきて、入れ違いにシャワーを浴びました。
「1回目は友達と話しながら走っていたら後輪にはすって、はじかれた。でも、何とか持ち直したんだ」「へえ」
それ自慢したらいかんだろうと思いつつも、楽しくお話させていただきました。まさに裸の付き合いでした(笑) |
残りはたった217km。制限時間もタップリ24時間。美しい朝焼けを見ながら、これでもうあとは問題なく走って完走だと確信しました。そう、根拠の無い確信を。
朝食を採っていると、スタッフが話しかけてくれました。 思わず吹きました。これにはスタッフも大笑い。2日ちょっとでゴールとは、当たり前ですが、まったくすごい人はレベルが違うものです。 ▲雨上がりのポプラ並木しばらく走ると、天候は悪化して雨になりました。でももう、それがどうした? という心境です。今日は寝るときの着替えを心配しなくてよいので、持っている服をすべて着て濡らしても大丈夫。その余裕が気持ちを楽にしてくれます。 するとすぐに天気は回復しました。 「雨上がりのポプラ並木を、自転車で駆け抜ける」そんなシーンの撮影を僕は狙っていましたが、もうまったく絶好の撮影日和です。 うまいことに、ここにはポプラが自生する場所がたくさんありました。機会を見ては止まり、カメラを固定して動画撮影を行います。
もっとも撮影向きな「ポプラ並木」を発見しましたが、それは Public Footpath のオフロードの向こうにありました。意を決して、水溜りの泥道を進んでみましたが・・・これは少し無謀です。恐らく往復1時間で終わる話ではなく、タイヤが壊れたら予備はありません。泣く泣く、遠くからの撮影に留めておきました。 昨日までと打って変わり、今日はとても日差しが強い。半そででも汗ばみ、今度は暑くて厳しい感じです。 こんな日は日焼け止めが必要ですが、もうすでに両腕はボロボロに日焼けしています。半そででも厳しい。 かと思っていると、とても怪しい雲行きになり、一気に雨が降ってきます。 でも今日の変化は少し行き過ぎ。一気に暗くなり本降りになったかと思えば、ピカッ、ゴロゴロと雷まで発生! これが噂のストームです。体感気温が、気分的には本当、30℃から5℃に急降下。一気にガタガタ震えて、そのうち疲れてその震えも止まりました。 寒い、寒すぎる・・・本当にカンベンしてくれ・・・。ほどなく市街地に突入。見ると町中に白い粒のようなものが撒かれており、下水の入り口に溜まっていました。凍結防止剤かなあ。でも、これはよく魚市場で見られる光景のように思えました。つまり、冷蔵保存した発泡スチロールに溜まった「あれ」が捨てられて下水に溜まっている光景・・・。 ダメだ、考えるな。その単語を思い出したら負けだ! 体の心まで冷え切って、もう限界でした。寒さを連想などしたくもありません。でも好奇心が勝るものです。町行く人を捕まえて聞いてみます。
「すみません・・・あの、これって何なんですか?」「タイルのこと?」 ・・・・・やっぱり。ありがとうと礼を言って走り出しました。話によると、真夏にアイスボールが降ってくるのはよくあることらしいのです。
ほどなく、Gillのブレーカーを着た2名の参加者に追いつきました。
この世の終わりという表現を実際に聞いて大笑いしてしまいました。 いよいよ最後のコントロールを通過。幸い天気は晴れに戻りました。最後が祝福されているようで、気持ちも前向きになります。 最後は細かいアップダウンの区間、でも僕はそういうのは大好きです。 ディスクホイールの轟音を鳴らして坂を上っているためでしょう、誰かに追いつくと声をかけられます。
「この音は(笑)」
かなり恥ずかしいのですが、「もう少しですね!」と回答しながら登っていきます。 ふと見るとパリ-北京の参加者がミスコースしそうになっていました。そうブルベはレースではありません。言葉の壁はあるけれど、自転車乗り同志が助け合ってゴールを目指すのです。 市街地が近づき、イタリアチームの集団に追いつきました。そして、みんなで揃ってゴール! ありがとう、みんな一緒に走ってくれてありがとう。そんな感謝の気持ちがあふれてきました。 イタリアチームの人が一緒に写真を撮ってくれました。よし、来年はイタリア1001milesのブルベに挑戦するぞ! 今回は、素直にそんな気持ちになったのでした。 |
YHAに一泊後、関戸さん、坂東さんと合流! 無理を言って関戸さんのお宅に招待していただきました。クルマで僕の自転車を運んでいただき、昼にピカデリーサーカスで待ち合わせることに。 ところが電車が止まっていて、Cheshunt駅からはロンドンまで行けない事が直後に判ります。駅員さんに代替手段を教えていただき、バスと別路線の電車で何とか事なきを得ます。 その後、関戸さんたちと再度合流。中華街でのバイキングの後、クルマでロンドン観光の上、ご自宅の焼肉パーティに参加させていただきました。さらにロンドンの夜景撮影の上ホテルまでお送りいただいてしまいました。この場を借りて、深く御礼申し上げます。 LELはとても素敵な体験でした。あなたも次回はいかがてしょうか? その際は防寒具をお忘れなく! ▲走行記録今回、Polarは速度/距離が異常な値のところがあり(電波障害?)、GPSも一部ログが未記録などの問題がありました。 信頼できそうなところからの値をまとめておきます。 ・走行距離 : 1433km (GPS) Report & Photo Hiroshi IMAIZUMI 2009.8.16 |
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