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ドイツで初めての1200km。北バイエルンのハイジ、カール・ワイマン夫妻が主催した1267km、日本人2名を含む88名がエントリー、80人出走。自転車担いで川にかかった丸太渡り、1400km以上走った人もいて、ワイルドで心優しいランドネ、走りに行きたくなります。1300km近く走った岩本さんのレポートです。 |
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翌日(8/8)朝一番に僕のバイクが到着、さっそく組み立ててミュンヘン市内を散策。カフェでビールにランチ(ジャーマンポテトがうまかった)。夜はスーパーで買出しでたらふくビールを飲む。 9日、ローターさんが帰ってきて車でスタート地のオスタードルフへ向かう。さすがにアウトバーンは速い! 食事をしながらオーガナイザー(カールとハイジ夫妻)、スタッフの紹介、明日のブリーフィング(ドイツ語をローターさんが英語で通訳)。僕にはよくわからなかったが、二人で漫才のようにしゃべっていたらしくみんなゲラゲラ笑っていた。 その夜は海外参加者のために簡易ベッドが用意されていて、ゴール後も使って良いらしい。 サックス伴奏で国歌斉唱、そして1267kmの旅が始まった さていよいよ8月10日の朝、10時スタートなのでゆっくりと朝食(ビール以外は無料)をとり、着替えてドロップバッグ(支給)を預ける。 そして、なぜかサックスの伴奏が始まり参加国ごとに前に呼ばれて国歌斉唱。
■PC-1(84.2k、13時)ガスステーション(以下GS) PC-1までは平坦な道のりで途中雨に降られながらも寒くもなく誰もカッパを着る者はおらずイッキに3時間で到着。
手前で折り返しのユタさんとすれ違う。 コーラを買う時に悩んだのが値段の表示。 来た道を少し戻り次を目差す。 道がない! ようやく見つけたのは川にかかる2本の丸太
濡れた物を脱ぎ、 |
その後のPCまでは、眠気とにがてな登りとの戦いで、今回一番ツライ区間でした。何度も何度も真っ暗闇のとうもろこし畑の丘を越え、目の前を鹿が何度も横切ったり、幻影を見たりしながら、ふらふらになってPCに到着。 頼れないGPSデータ、うっかり信用すると、、、あぁ、がっくり
■PC-7(699.8k 8/12 03時)スポーツセンター スタッフにチェックしてもらい、 ここでまたもミスコース。 またも坂の頂上で気づく(ああ、がっくり)。気を取り直して再び走り出すが、なかなかモチベーションがあがらない。 橋が見えて渡りだすとDonauの文字が。 その後もバス停で横になったりしながらPCへ、 |
ここでビールを飲んで食事をしていると、ユタさんが陽気なドイツ人(バーン)と到着。 ここまでの経緯をいろいろ聞く。 ユタさんがキューシート、バーンは地図を見て、最初の頃は人に道を尋ねたりしてそれなりに面白かったそうですが、さすがにもううんざりした模様。 昨夜のとうもろこし畑のアップダウンの事を話すが、ユタさんには印象にないらしい(それだけ足が違うということか)。どうせ足が合わないので一足先に出発、すぐに追い越されるはず。 途中大きなバニアバックのドイツ人と一緒になる。 |
やっぱり途中迷子になったらしく、ユタさんに追いつかれることなく到着。 ユタさんたちに遅れて出発するが、 丘の上で二人でしばらく待つが来ない。電話も出ないので夜間装備の準備をしてバーンと先に行くことにする(やはり迷子になり別ルートらしい)。 ここまでユタさんと一緒だっただけに、やはり僕より速い。だが、彼も僕のナビのほうが楽なのか、前を引いたり後ろについたりして仲良くPCへ。 |
2階のレストランに上がりピザがある(時間外だが特別に作ってもらった)というのでビール(おかわりしてしまった)と一緒に注文、お腹いっぱいになったところでベッドに。 ユタさんたちは一時間ほどあとに着いたらしい。 朝起きると雨模様、朝飯を食べカッパを着て一緒に出発。やはり足が合わず徐々に離されるが途中で待ってくれて一緒に行くことに。 |
時には石畳、時には18%の坂を越えて日本人2人と陽気なドイツ人の列車がいく
■PC-11(1031.5k 8/13 11時)GS 3人で到着、ここのレストランでは何かうまいものを食べたはずだが、やはり思い出せない。 いくつもの丘を越え、いくつもの村や町を通り過ぎる。
やっと最後のPCに到着、残り118kほど。 ここまで2人に引きずり回された僕は正直なところ疲労困憊。 しばし休んでから夜間装備を整え重い腰を上げる(19時)。 ゴールにかなり近づいたところでGPSのデータがおかしい。ゴール手前で誰かの家の軒先みたいなところで終わっている。ユタさんと悩んでいると、バーンは痺れを切らしたように先に行って手を振って僕らを招く。ここを左折して坂を登りきればゴール。 1267kの旅の終りを噛み締めながら最後の写真を撮り(写ってない)、少し2人に遅れて感動のゴール。 |
感動のゴール、最後まで楽しませてくれました
■ゴール(1267k 8/14 01;00 87時間ジャスト) 夜中にもかかわらずハイジやスタッフに出迎えていただきました。 3人で写真を撮りシャーワールームへ、着替えをすましテーブルに着いてまず乾杯! ■クローズ 朝食を食べながら次々とゴールする参加者を迎える。 カールは戻っていないようで、ハイジが今か今かと待っている。クローズはAM9:06らしい。 ゴールするなり芝生に倒れこむ。みんなに抱き起こされて車で戻ってきたハイジと感動の抱擁&キス。 その後、アメリカのエミリーはシングルギヤで迷子になりながらも「1450kも走っちゃった」と笑顔でゴール。ぬいぐるみをバイクにたくさん付けていたエリザベスもタイムオーバーながら無事にゴール。 最後の最後まで楽しませていただきました。 |
準備からゴール後までたくさんの人のお世話になりました ■バーンの車で 汽車でミュンヘンに戻り、夜はフランクフルト在住の野田さんと会う予定のはずが、なんとバーンが車で送ってやると言う。だが、よく聞くとバーンの帰る方向はまったく逆でその倍以上の距離だと言う。どこまでも陽気なバーンの車に、3台のバイクを押し込み、みんなに別れを告げ、再会を約束して、アウトバーンで一路ミュンヘンへ。
■フランクフルト(FK)へ バーンの車で無事ミュンヘンのアパートに到着、僕は急いで荷物をパッキング。 バーンにお礼と別れを告げ、ユタさんと急いでICEに乗る。 野田一郎さん(フランクフルト市立オペラ・首席コントラバス奏者でランドヌール)) ドイツ、ブルベ等のキーワードで検索していてヒットしたのが一郎さんのブログで、厚かましくもBBSに書き込みをするとすぐに返信がありいろいろお手伝いしてもらえることに。 ARAへの送金の仕方から、GPSデータ、キューシートの取得、交通標識の翻訳、オーガナイザーとの連絡、何と言ってもキューシートの翻訳をスタートぎりぎりまでされてFAXで現地に送っていただいたこと。 ありがとうございました。 その夜は一郎さんのアパートの近くのイタリア人の手料理のうさぎの肉に舌鼓をうちながらおいしいワインをいただきました。途中から仕事を終えた奥様(バイオリニスト)も同席され、その後一郎さんのアパートへおじゃまして歓談後近くのホテルで就寝。
■FK2日目 8/15 遅い朝食をとり、ユタさんはベッドでごろごろまどろみ、僕は明日の帰国に備えて慎重にバイクのパッキングにとりかかる。 一郎さんを昼飯に誘うが、まだサイクリング(昨夜お誘いを受けてはいたが、余裕がなく行けませんでした)の途中でトラブルがあり遅れるとのこと。 昼をかなり回った頃、一郎さんが帰宅。 |
ユタさんを見送ってからは、一郎さんにFK市内を案内していただき、行き着けの店でビールや名物のりんご酒、それにマッチした料理等をたらふくごちそうしていただきました。 その日は運よく「泉の祭り」があり、かなりの人手でにぎわってました。 |
■出国 8/16 わざわざ空港まで一郎さんのベンツで送っていただきました。ぜひ10月の福岡600k(SR取得)に参加していただくよう御願いし、お礼を述べてお別れをする。
■帰国 8/17 行きの逆、FK発-北京(入国審査)-大連(出国審査)-福岡、で無事帰国いたしました。 |
ドイツの交通事情他 右側通行で通行量の多い場所や市街地は自転車道が整備される。 郊外は丘ばかりで距離はないが結構斜度がある。 郊外に出ると、牧草地やとうもろこし畑、小麦畑の丘が広がり、景色はいいのですが、堆肥の臭いがかなりきつい。 コンビニ、自販機はなく、 英語が結構通じる(フランスはワン、ツー、スリーさえダメでしたが)。 |
ドイツ人は厳格なイメージがあったが、みんな陽気で親切な方ばかりでした(運がよかったのかも)。 自転車はそのまま列車に持ち込める(ICE以外)ので、駅や地下鉄構内では自転車がうろうろ(乗ってはいません)してます。なので輪行の習慣は基本的にない模様。 改札もないので、買ったキップはそのままお持ち帰りです。よってキセルをしようと思えばやり放題ですが、万が一見つかった場合、外人だろうとなんだろうと言い訳は通用しないらしく、有無を言わさず罰金(相当高いらしい)になります。 FK市内で見かけたレンタサイクルは電話番号が書いてあって、そこに携帯から電話すれば自動でカギが外れ乗り捨て自由。料金は携帯から引き落としとよく考えられている。 |
ドイツのブルベ でも寒くはなかった。 今回だけかもしれませんが、キューシートはあまりあてにならず、地図がないと走れないようでした。。一行に右折、左折、右折と3項目もあったりPC間パートごとに何人かで作っているので書き方、表示の仕方がまちまちらしい(僕はGPSに頼ってたのでよく見てない)。 ドイツ人でも頭かかえていたそうですから(それを翻訳した一郎さんの苦労は、、、)。 GPSデータも途中でルートが分かれていたり、ゴール前で切れていたり結構いい加減でした。なのでキューシートと地図を見て近道を探しながら走るのも有り、みたいな感じでした。 でも、決して1267k以下にはならないと思います(GPSの僕でさえ1300近くなってましたから)。 でも、本当に楽しかったですね。 このすばらしいBRMに参加させていただいたカールとハイジ夫妻、スタッフのみなさん、一緒に走った各国の参加者のみなさん、ありがとう。 ミュンヘンのアパートを勝手に使わせていただいたローターさん、反対方向なのにわざわざミュンヘンまで車で送ってくれたバーン、心より感謝いたします。 一郎さん、本当にお世話になりました、日本に来られる時はぜひ連絡御願いいたします。ありがとうございました。 最後にユタさん、ドイツで1200kのBRMが開催されることを教えてくれたこと、英語のわからない僕にその都度通訳してくれたこと、何より一緒にゴールできたことに感謝します。 Report : Chikara IWAMOTO, Sep. 17. 2009 |
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