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ドイツで初めての1200km。北バイエルンのハイジ、カール・ワイマン夫妻が主催した1267km、日本人2名を含む88名がエントリー、80人出走。自転車担いで川にかかった丸太渡り、1400km以上走った人もいて、ワイルドで心優しいランドネ、走りに行きたくなります。1300km近く走った岩本さんのレポートです。

フランクフルト到着、でもバイクは北京、、、旅の始まり

ガラガラガラ、、、ガラン。とうとう荷物はでてきませんでした(8/7)。
ここはフランクフルト空港の預け荷物受取所。カウンターに行き、説明を受けると僕のバイクはまだ北京にあるとのこと。
トランジットの場合、よくあることとは耳にしたことがあったが、まさか自分がそうなるとは、、、。
(中国国際航空にて福岡発-大連-北京-フランクフルト行き、往復93975円。)
ドイツ語はおろか英語もまともにしゃべれないので、先着のユタさんに電話して交渉してもらう。
荷物が着き次第滞在先に送ってくれるということで宿泊先のミュンヘンに向かう。

ICE(ドイツの新幹線)で3時間少々、ここでユタさんと合流。
すでに彼は3日ほど早く来てオーストリアやイタリアなどあちこちかなり走り回っていたらしい。

今回は去年近畿600kに参加されたドイツ系アメリカ人のローターさんのお心遣いで、彼のアパートをお借りすることに(ローターさんは奥さんとオーストリアに滞在中)。

翌日(8/8)朝一番に僕のバイクが到着、さっそく組み立ててミュンヘン市内を散策。カフェでビールにランチ(ジャーマンポテトがうまかった)。夜はスーパーで買出しでたらふくビールを飲む。

9日、ローターさんが帰ってきて車でスタート地のオスタードルフへ向かう。さすがにアウトバーンは速い!
到着後、受付や車検をすましお楽しみのパスタパーティ(ビール以外は無料)へ。

 食事をしながらオーガナイザー(カールとハイジ夫妻)、スタッフの紹介、明日のブリーフィング(ドイツ語をローターさんが英語で通訳)。僕にはよくわからなかったが、二人で漫才のようにしゃべっていたらしくみんなゲラゲラ笑っていた。

その夜は海外参加者のために簡易ベッドが用意されていて、ゴール後も使って良いらしい。

サックス伴奏で国歌斉唱、そして1267kmの旅が始まった

 さていよいよ8月10日の朝、10時スタートなのでゆっくりと朝食(ビール以外は無料)をとり、着替えてドロップバッグ(支給)を預ける。

そして、なぜかサックスの伴奏が始まり参加国ごとに前に呼ばれて国歌斉唱。
僕もユタさんと調子はずれな声で「君が代」を歌う。
カールさん(彼も走る)の掛け声でスタート。
僕らは最後尾からスタート、出走者は80人ほどか。

 

 

■PC-1(84.2k、13時)ガスステーション(以下GS)

PC-1までは平坦な道のりで途中雨に降られながらも寒くもなく誰もカッパを着る者はおらずイッキに3時間で到着。
ここはガソリンスタンドでブルベカードにレジでスタンプを押してもらいスグに出発。
ユタさんはとっくにいない(先頭集団にいたらしいが、、、)。

 

■PC-2(171.7k、17時)サービスエリア

手前で折り返しのユタさんとすれ違う。
ここは高速のサービスエリアでやはりレジでスタンプをもらう。
パンとコーラで一休み。

コーラを買う時に悩んだのが値段の表示。
たとえば、1+0.3=1.3ユーロとある。
この意味はペットボトルを捨てる所が見つからずレジに持って行ってわかる。
向こうはペットボトルもデポジット制なのです。
+0.3はボトル代なので後で返却してもらえる。

来た道を少し戻り次を目差す。
まもなく雨が降ったり止んだり、遠くでは雷も鳴りだす(この時ユタさんはまさに雷雨の中にいたらしい)。
陽が暮れて夜間走行の準備をして、雨の中をミスコースもしながらやっとPCに到着。

道がない! ようやく見つけたのは川にかかる2本の丸太

 

■PC-3(275.3k、22時)民族工芸村

民族衣装のお嬢さん(?)がたが出迎えていました。

濡れた物を脱ぎ、
パスタやケーキ、
それにビールを飲んで一ぷくして出発。

途中右折する時に通行止めらしきゲートを横切る。
イヤな予感がするがそのまま進む、、、。
と、案の定橋の架け替え工事らしく通行止め、と言うより道がない!
一人靴を泥まみれにして戻ってくる者がいて、彼はUターンするらしく、僕に「おまえは行けると思うなら行ってみな」みたいな事を言う。

バイクを置いて土砂の中を左に行くが、川がザーザー流れている。
暗闇の向こうに明かりが動く、誰か渡ったようで右を捜してみる。

あった! そこには小さな丸太が2本。

意を決して、バイクをかついで渡る(落ちて流されたらシャレにならんなあと思いつつ)。
なんとか向こう岸に渡り、土砂をかけあがり、ドロドロになってコース復帰。
先の明かりの主がいて、一緒にバイクの泥を落として走り出すが、ブレーキに泥が詰まってまともじゃない。と、彼が噴水を見つけ二人でジャブジャブ、バイクや靴を洗いだす。

その後、GPSを持ちながらも5kも坂を登ってミスに気づいたり、バス停で1時間程の仮眠をとったりしながらなんとか明け方PCに到着。

  本格的な登りと深夜のとうもろこし畑の丘越え

■PC-4(404.3k、8/11 7:30)GS

レジでスタンプをもらい、パンとコーヒーで朝食をとり、簡易ベッドが用意してあったので少し横になって出発。
ここまでも登り下りはあったはずだが、あまり覚えていない。

しかし、ここから本格的な登り(1120m、14%)が始まる。
なんとか最初の峠をクリアー、豪快な下りの途中のクイズポイントで止まり、写真撮影(答えが何なのかわからない?)。
しばらく平地を気持ちよく飛ばしていたが、またまた登りが、、、。ここでとうとう歩いてしまいました。
何度かアップダウンの末なんとかPCに到着。

 

■PC-5(517k、13:30)

ここはスタッフ(ヘルパー)の自宅みたいなところで、簡単な食事と飲み物が用意されていました。
ここでドイツ人の参加者にクイズの答えを代筆してもらう(だって書けないんだもん)。
昨晩の丸太の川越えの事も尋ねると、笑って、そんなことはよくあることらしく、「楽しかっただろ」みたいな事を言っていた。

昨日と違い今日はとても天気がよく、コーラが飲みたいが、コンビニはおろか自販機などはまったくなく、大きな町のスーパーを見つける以外にはない。

 

■PC-6(585.4k 18時)スポーツセンター

ドロップバッグを受け取りシャワー室へ。さっぱりして着替えて食事にありつく。

サラダやパン、シチューにビールでしばし至福の時を、、、。
昨日の雨で濡れたままのカッパを乾かしたり、電池や補給食の補充、オイルを注したりする。
ここでスタッフにユタさんがいつ通過したのか尋ねると、なんとまだ着いてないとのこと。

電話するが、でない。
何かあったかと少し心配したが、人のことより自分のこと。
ユタさんのことだから大丈夫でしょう(昨夜はホテル泊だったらしい)。

ここにもベッドがあったが、まだ明るいし、先を目差すことに。

スタート10分後ぐらいにユタさんから到着のメールがあり、仲良くなったドイツ人と一緒にいるとのこと。それとローターさんはすでにリタイヤしてオーストリアに行くので、僕らは汽車か自走(まさか?)で帰って来いとのこと。

陽も落ちて真っ暗な中、
川の向こうに突然大きなライトアップされた古城が、
あまりの美しさに見惚れて
写真を撮りましたがうまく写らない。

後で知ったのですが、ここはオーストリアだったそう。
観光地らしく夜にもかかわらずかなりの人でにぎわってました。

その後のPCまでは、眠気とにがてな登りとの戦いで、今回一番ツライ区間でした。何度も何度も真っ暗闇のとうもろこし畑の丘を越え、目の前を鹿が何度も横切ったり、幻影を見たりしながら、ふらふらになってPCに到着。

頼れないGPSデータ、うっかり信用すると、、、あぁ、がっくり

 

PC-7(699.8k 8/12 03時)スポーツセンター

スタッフにチェックしてもらい、
ビールを飲んで倒れこむようにしてベッドへ。
朝起きるとユタさんのバイクを見つけましたが、
起こすのはやめて朝食を摂り、
一足先に出発(07:20)。

ここでまたもミスコース。
ARAからもらったGPSのログを頼りに走行しているのですが、そもそもこれ自体寄り道したりしたログがそのままなので、うっかり信用して走るととんでもないことに。

またも坂の頂上で気づく(ああ、がっくり)。気を取り直して再び走り出すが、なかなかモチベーションがあがらない。

橋が見えて渡りだすとDonauの文字が。
そう、これがあのドナウ川。
川の向こう岸の丘に教会が見え、
しばし止まって写真撮影。

その後もバス停で横になったりしながらPCへ、
今日もイイ天気。 

PC-8(782.3k 12:30)スポーツセンター

ここでビールを飲んで食事をしていると、ユタさんが陽気なドイツ人(バーン)と到着。

ここまでの経緯をいろいろ聞く。
PC-1とPC-2の間で先頭集団から遅れて(ボトルゲージのねじが壊れるトラブル)からは、彼バーン(電話中に追いついた)と一緒らしい。同じように丸太を渡ったり、泊まったホテルでかなり無茶なことをしたこと、キューシートがまったくわからず何度も道に迷ったこと(GPSの僕でさえ迷うのですから)。

ユタさんがキューシート、バーンは地図を見て、最初の頃は人に道を尋ねたりしてそれなりに面白かったそうですが、さすがにもううんざりした模様。

昨夜のとうもろこし畑のアップダウンの事を話すが、ユタさんには印象にないらしい(それだけ足が違うということか)。どうせ足が合わないので一足先に出発、すぐに追い越されるはず。

 途中大きなバニアバックのドイツ人と一緒になる。
コーラが欲しくて捜すがない。やっとスーパーを見つけるが、PCが近いのでパス。

 

PC-9(849.6k 16:25)スポーツセンター

やっぱり途中迷子になったらしく、ユタさんに追いつかれることなく到着。
(ユタさんによると僕の方が後で到着、このへんの記憶はかなりあいまい。)

さっそくコーラで食事。
何を食べたのかよく覚えていない。

ユタさんたちに遅れて出発するが、
途中ウィンブレを着るのに止まった所で追い抜く。
何度かアップダウンの後、820m程の峠で一緒になる。
そのときは4人だったが、ダウンヒルを終えてしばらくして振り返るとバーンしかいない。

丘の上で二人でしばらく待つが来ない。電話も出ないので夜間装備の準備をしてバーンと先に行くことにする(やはり迷子になり別ルートらしい)。

ここまでユタさんと一緒だっただけに、やはり僕より速い。だが、彼も僕のナビのほうが楽なのか、前を引いたり後ろについたりして仲良くPCへ。

PC-10(947.3k 23時)スポーツセンター

2階のレストランに上がりピザがある(時間外だが特別に作ってもらった)というのでビール(おかわりしてしまった)と一緒に注文、お腹いっぱいになったところでベッドに。

ユタさんたちは一時間ほどあとに着いたらしい。

朝起きると雨模様、朝飯を食べカッパを着て一緒に出発。やはり足が合わず徐々に離されるが途中で待ってくれて一緒に行くことに。

時には石畳、時には18%の坂を越えて日本人2人と陽気なドイツ人の列車がいく

 

■PC-11(1031.5k 8/13 11時)GS

3人で到着、ここのレストランでは何かうまいものを食べたはずだが、やはり思い出せない。
なぜか入り口付近で車がひっくり返っていた事を憶えている(笑)。
ここからは3人でバーンが前を引き、ユタさんが後ろについて僕が遅れないように(逃がさないように)行く。
村や町に入る手前で僕が前に出てナビゲーション、抜けるとまた列車を組んでいい調子で進む。

いくつもの丘を越え、いくつもの村や町を通り過ぎる。
時には石畳、時には18%の坂(さすがに歩きました)を登る。
激坂に喜ぶユタさんに「もっと後ろの筋肉を使ったほうがいいですよ」とアドバイスされる。

 

PC-12(1147.8k 17:40)サービスエリア)

やっと最後のPCに到着、残り118kほど。

ここまで2人に引きずり回された僕は正直なところ疲労困憊。
でも、途中下車はゆるしてもらえないようで、バーンは「この先はもう平坦、坂はないよ」とかなんとか見え透いたことを言う。

しばし休んでから夜間装備を整え重い腰を上げる(19時)。
うまくいけば今日中にゴールできるか。
それからも何度も丘を越え村や町を過ぎる。
ユタさんのアドバイスが効いたのかなんとかうまく坂をこなして行く。

ゴールにかなり近づいたところでGPSのデータがおかしい。ゴール手前で誰かの家の軒先みたいなところで終わっている。ユタさんと悩んでいると、バーンは痺れを切らしたように先に行って手を振って僕らを招く。ここを左折して坂を登りきればゴール。

1267kの旅の終りを噛み締めながら最後の写真を撮り(写ってない)、少し2人に遅れて感動のゴール。

感動のゴール、最後まで楽しませてくれました

 

■ゴール(1267k 8/14 01;00 87時間ジャスト)

夜中にもかかわらずハイジやスタッフに出迎えていただきました。

3人で写真を撮りシャーワールームへ、着替えをすましテーブルに着いてまず乾杯!
誰かにビールをおごってもらう。お腹いっぱいになったところで2階のベッドへ。

 ■クローズ

朝食を食べながら次々とゴールする参加者を迎える。
3人の女性参加者のうちドイツの娘(両足首が腫れて歩きずらそうだった)だけが帰ってきていた。

カールは戻っていないようで、ハイジが今か今かと待っている。クローズはAM9:06らしい。
待ちきれなくなったハイジが車で見に行くと言って出てまもなく、カールがものすごい勢いで登ってきた。 

 ゴールするなり芝生に倒れこむ。みんなに抱き起こされて車で戻ってきたハイジと感動の抱擁&キス。

その後、アメリカのエミリーはシングルギヤで迷子になりながらも「1450kも走っちゃった」と笑顔でゴール。ぬいぐるみをバイクにたくさん付けていたエリザベスもタイムオーバーながら無事にゴール。

最後の最後まで楽しませていただきました。

準備からゴール後までたくさんの人のお世話になりました

■バーンの車で 

汽車でミュンヘンに戻り、夜はフランクフルト在住の野田さんと会う予定のはずが、なんとバーンが車で送ってやると言う。だが、よく聞くとバーンの帰る方向はまったく逆でその倍以上の距離だと言う。どこまでも陽気なバーンの車に、3台のバイクを押し込み、みんなに別れを告げ、再会を約束して、アウトバーンで一路ミュンヘンへ。

 

■フランクフルト(FK)へ

バーンの車で無事ミュンヘンのアパートに到着、僕は急いで荷物をパッキング。
ベッドの上にはローターさんの手紙と御土産のワインが置いてあり、ありがたく頂戴する。

バーンにお礼と別れを告げ、ユタさんと急いでICEに乗る。
夜10時頃、FK中央駅に着くと、野田さんが車で迎えに来ておられました。

 野田一郎さん(フランクフルト市立オペラ・首席コントラバス奏者でランドヌール))
ドイツ行きを決めてから何から何まで本当にお世話になりました。
今回の遠征がこれほどスムーズに楽にできたのも全て彼のおかげと言っても過言ではありません。

ドイツ、ブルベ等のキーワードで検索していてヒットしたのが一郎さんのブログで、厚かましくもBBSに書き込みをするとすぐに返信がありいろいろお手伝いしてもらえることに。

ARAへの送金の仕方から、GPSデータ、キューシートの取得、交通標識の翻訳、オーガナイザーとの連絡、何と言ってもキューシートの翻訳をスタートぎりぎりまでされてFAXで現地に送っていただいたこと。

ありがとうございました。

 その夜は一郎さんのアパートの近くのイタリア人の手料理のうさぎの肉に舌鼓をうちながらおいしいワインをいただきました。途中から仕事を終えた奥様(バイオリニスト)も同席され、その後一郎さんのアパートへおじゃまして歓談後近くのホテルで就寝。

 

■FK2日目 8/15

遅い朝食をとり、ユタさんはベッドでごろごろまどろみ、僕は明日の帰国に備えて慎重にバイクのパッキングにとりかかる。

一郎さんを昼飯に誘うが、まだサイクリング(昨夜お誘いを受けてはいたが、余裕がなく行けませんでした)の途中でトラブルがあり遅れるとのこと。

昼をかなり回った頃、一郎さんが帰宅。
ユタさんはミュンヘンからのエアーなので、今日またローターさんのアパートにもどらなければならず、まず駅に行ってICEの時間を予約、それから一郎さんに連れられトルコ人街のおいしい飯屋でごちそうに。

ユタさんを見送ってからは、一郎さんにFK市内を案内していただき、行き着けの店でビールや名物のりんご酒、それにマッチした料理等をたらふくごちそうしていただきました。

その日は運よく「泉の祭り」があり、かなりの人手でにぎわってました。

■出国 8/16

わざわざ空港まで一郎さんのベンツで送っていただきました。ぜひ10月の福岡600k(SR取得)に参加していただくよう御願いし、お礼を述べてお別れをする。

本当に何から何までお世話になりました。

 

■帰国 8/17

行きの逆、FK発-北京(入国審査)-大連(出国審査)-福岡、で無事帰国いたしました。

ドイツの交通事情他

右側通行で通行量の多い場所や市街地は自転車道が整備される。
自転車とは言えみんな必ず右側を通行、日本みたいに逆走などは絶対にありえません。
逆向きに停車しているだけでもイヤな顔をされます。

郊外は丘ばかりで距離はないが結構斜度がある。
信号もなくほとんどがロータリー。
アウトバーンのお国柄か、老若男女みんなぶっ飛ばします(制限速度はないのか?)。
ベンツやBMWじゃなきゃダメっていうのがわかるような、、。
路面はフランスよりは良かった。

郊外に出ると、牧草地やとうもろこし畑、小麦畑の丘が広がり、景色はいいのですが、堆肥の臭いがかなりきつい。
村には必ず教会があり、形はさまざまで同じものはない。

コンビニ、自販機はなく、
コーラが飲みたくても、
スーパーのある大きな町に着くまでがまんを強いられる。
GSやサービスエリアがコンビニのような感覚か。

英語が結構通じる(フランスはワン、ツー、スリーさえダメでしたが)。

ドイツ人は厳格なイメージがあったが、みんな陽気で親切な方ばかりでした(運がよかったのかも)。
よくビールを飲みました(だってジュースもビールもたいして値段が違わないので、ついつい、、)。
付加価値税が19%(食品は7%)なのでなんでも高く感じます。

自転車はそのまま列車に持ち込める(ICE以外)ので、駅や地下鉄構内では自転車がうろうろ(乗ってはいません)してます。なので輪行の習慣は基本的にない模様。

改札もないので、買ったキップはそのままお持ち帰りです。よってキセルをしようと思えばやり放題ですが、万が一見つかった場合、外人だろうとなんだろうと言い訳は通用しないらしく、有無を言わさず罰金(相当高いらしい)になります。

FK市内で見かけたレンタサイクルは電話番号が書いてあって、そこに携帯から電話すれば自動でカギが外れ乗り捨て自由。料金は携帯から引き落としとよく考えられている。

   ドイツのブルベ

天気は一日に一度はどこかで降ると思っててもいいかも。

でも寒くはなかった。
日暮れが遅く夜9時10時頃まで明るい。
車で来ている連中は芝生にテントを張ったりしてキャンプ状態。

今回だけかもしれませんが、キューシートはあまりあてにならず、地図がないと走れないようでした。。一行に右折、左折、右折と3項目もあったりPC間パートごとに何人かで作っているので書き方、表示の仕方がまちまちらしい(僕はGPSに頼ってたのでよく見てない)。

ドイツ人でも頭かかえていたそうですから(それを翻訳した一郎さんの苦労は、、、)。

GPSデータも途中でルートが分かれていたり、ゴール前で切れていたり結構いい加減でした。なのでキューシートと地図を見て近道を探しながら走るのも有り、みたいな感じでした。

でも、決して1267k以下にはならないと思います(GPSの僕でさえ1300近くなってましたから)。
試走はしてないと思われます(丸太を渡らなければならなかったくらいなので)。

でも、本当に楽しかったですね。
オーガナイザーやスタッフがとても親切でやさしかったし、参加者もみんな気のいい連中ばかりでした。景色もすばらしかったし、食べ物(とくにビール)もうまかったし、また機会があれば行きたいですね。

このすばらしいBRMに参加させていただいたカールとハイジ夫妻、スタッフのみなさん、一緒に走った各国の参加者のみなさん、ありがとう。

ミュンヘンのアパートを勝手に使わせていただいたローターさん、反対方向なのにわざわざミュンヘンまで車で送ってくれたバーン、心より感謝いたします。

一郎さん、本当にお世話になりました、日本に来られる時はぜひ連絡御願いいたします。ありがとうございました。

最後にユタさん、ドイツで1200kのBRMが開催されることを教えてくれたこと、英語のわからない僕にその都度通訳してくれたこと、何より一緒にゴールできたことに感謝します。

Report : Chikara IWAMOTO, Sep. 17. 2009
Photo : Chikara IWAMOTO, Yutaka Moriwaki

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