日本が初めてPBPに参加したのは2003年です。その翌年から2007年10月まで加藤孝氏が会長を務めたオダックスジャパンのもと、2007年PBPにはACP(オダックス・クラブ・パリジャン)の期待に応えて日本から107名のエントリーが実現しました(日本人エントリーは112名)。2008年1月12日にフランス、パリ郊外のシャラトンでPBP表彰式が開催され、ACPの招待に応じてAJから加藤前会長を派遣、表彰されました。以下は加藤前会長の表彰式報告です。
2007PBP日本:エントリー112人 出走109人 認定65人 時間外完走1人 (他国クラブ所属者含む)

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2007年PBP表彰式出席報告 

加藤 孝(オダックスジャパン前会長/2008.1.25記)

オペラ駅からメトロで17駅目のポルテ・ド・シャラントンで下車。駅数は多いが駅間距離が短く、時間はそれほどかからない。ちなみに同じ会社が運営するPERという路線は中距離用で、ひと駅がメトロ3つか4つ分になる。とびらを開けるには内外からボタンを押すか、レバーを操作しないといけないが、閉めるのは自動、車内放送は列車により有ったり無かったりである。

案内板に従って地上に出ると、道は広く建物がまばらに見える。実際にはけっこう建物があるのだが、道が広く公園があるため閑散と見える。PBPスタート地点であるサンカンタンのような感じの町である。

見回すと、200メートルほどのところにある10階建てくらいの建物の横腹に、会場のエスパス・シャラントンと書いてあるのを見て一安心。界隈に10階建てビルはここしかない。近づくと、道にPBPの案内板がくくりつけられていて雰囲気を盛り上げている。

会場は地区センターといった趣で体育館のような感じ、奥にステージがありプロジェクターで映像が写されている。その前にはたくさんのトロフィ、カップなどが並んでいる。

どれがもらえるのかなー、と期待は膨らむ。

反対側の入り口近くには机が並んでいて、番号順に封筒がたくさん並んでいる。PBP参加者個人別封筒に、注文してあるDVD、メダル、ブルベカードをいれてあり番号を言えばすぐに渡せるようになっているのだ。ここを見ていたら、見覚えのある大男が寄ってきて英語で、「なにか用? PBPには出たの?」「名前はなんと言うの?」などと、暇だったらしく親切にたずねてくれ、DVD、リザルトパンフレット、PC通過時刻を記入した書類入りの封筒を渡してくれた。

パンフレットには走行中の下山さん、前日のサンカンタンの集合写真が載っている。ほかにも何種類かパンフレットがおいてあったのでもらってきた。

PBPとブルベを支えるACPの人たち
  • ピエール・テオバルド
    ACPの会長で表彰式の主催者。杖を頼りにようやく動いているといった風情の、白髪の老人である。
  • スザンヌ・ルパーテル
    見たことのある小柄なおばあさんがいて、会場内を歩き回っているが彼女はスザンヌ・ルパーテルで、やはり顔役の一人である。スザンヌと聞くとなんとなく若い女性を連想してしまうが、実際は70近いのではなかろうか。
  • ファブレルさん(日本を含む外国担当)とそのファミリー
    彼には任期中すっかりお世話になった。達者な英語と優れた事務処理能力で、大いに助けられた。もちろん日本の窓口作業をしたのは僕ではなく、ファブレルさん同様英語が達者で能力抜群の下國さんだが。

ファブレルさんは長身でやせぎす、理知的な顔立ちでランドヌー宮城代表の鈴木さんに似た印象である。

ファブレルさんも当然奥さんと子供たちを連れてきている。というより実質的に仕切っている。挨拶してお土産を手渡す。お土産は風呂敷にファブレルの名とオダックスジャパンのロゴ、僕と窓口を努めてくれた下國さんの名を染め抜いてある。

ACP窓口のファブレルさんは夫婦で56時間41分

ちなみに、ファブレル夫妻は二人そろって56時間41分で完走している。すごい!!ファブレル・キッヅは5歳くらいの男の子と3歳くらいのおんなの子で、PBP翌日のRMの総会後の食事のときと同様、会場中を自由に歩き回っている。特に男の子はTシャツ一枚で元気なものだ。近くに行って用意のお土産、ピカチュウとドラえもんのボールペンを渡すと、とたんに顔が輝く。言葉は通じないけれど、すごくなついてしまっていつも周りをうろちょろしていた。そのうちお母さんのところに行って、あの東洋人にもらったなどと報告しているらしく、こちらを見ているのと眼が合った。手を振ったらジュヌヴィエーブ(ママ)が振り返してきた。

14時からはフレッシュなどの表彰なので、16時までどこかぶらぶらしていても良いし、見ていても良いよと言われるが行くところもないし、外は寒い。

表彰するから前のほうに席を取っておけといわれて前から3番目に座った。僕の前は中年の頭の薄い白人でまるでフランシスコ・ザビエルのような風体、ひとりぼっちで年中貧乏ゆすりをしている。

PBPのときにAJ福岡代表の岩本さんが入院中、見舞いに来てくれたポール氏は表彰式には来ていないようであった。帰国後リザルトのパンフレットを見ていて、ポール氏はドリューの責任者、Paul Villain氏であることが分かった。

いよいよ表彰式の始まり

第一部(フレッシュなど)

14時からの表彰式が始まるが、フレッシュ関係はあまり盛り上がらない。15時半ころ終了、16時までの間にどんどん人が増えてきて、あちこちでおしゃべりの輪ができピーチクパーチクとすごい騒ぎ。フランス人はおしゃべり好きだねえ。

僕は知っている人もいないし、フランス語が分からないから歩き回って見物と写真を撮っていた。ファブレルさんは次の準備に忙しそう。

さて16時、いよいよ第二部(PBP)

最初に人の名を呼んでいる。3番目くらいに「日本のタカシ カトウ」と呼ばれ、立ち上がって手を振る。これは単に外来の客の紹介のようである。ついで表彰が始まり、名を呼ばれた。いよいよ賞品がもらえるなあ、重かったらどうしようか、パッキングが大変かもしれないなどと考えつつ出て行ったが、期待に反して30センチくらいのペナント一枚であった。ちょっとがっかり。

2007年ポイントランキング32カ国中、日本は7位

この表彰は200km完走ひとりで2ポイントという風に加算して、国別に順位を付け、それが表彰されるというもの。日本は約6000ポイントで32カ国中7位である。

ちなみにトップはもちろんフランス55千ポイント、ついでアメリカ22千ポイント、UK13千、イタリア9千、ドイツ8千、オーストラリア6500であった。オーストラリアとの差は500ポイント弱。日本の次はスペイン、カナダ、デンマーク・・・・と続く。スペインとの差は1400ポイント近くで大差を付けている。

2003年の初参加以来、わずか5年目で大したものである。ブルベ大国までは行かなくても完全に主要国にはなっている。

今年から参加した国と地域が中国、香港、シンガポール、スロヴェニア、台湾、イスラエル、ニュージーランドの7つ。イスラエルってアジアに入るのかな?ヨーロッパじゃないしアフリカでもないからやはりアジアでしょうか。そうすると新参のうち5つがアジアからということになる。日本もふくめ新参国が増えたのはファブレルさんが窓口になってからで、彼には本当に感謝しなければならない。

 個人表彰は最多完走10回、最年長79歳

3人乗り、男女別最多完走者、最高齢者などなど、良く分からないが多くの人が表彰されていた。僕の前の席のザビエルじいさんは、アメリカ人が呼ばれるたびに出て行って何かもらっている。ずいぶん何度も出て行ったが、照れくさそうに賞品をもらうだけで、手を振るでもなくプレゼンターとしゃべるでも無く、すぐ戻ってきた。どうやら在仏アメリカ人のようだ。

最多完走は10回! 最年長は79歳のデンマーク人だそうだ。スタート時、隣にいた英国人の女性シェーラは7回完走で女性最多。表彰には来ていない。ちょっと小太りの小柄な金髪女性だったなあ。

最後に特別賞として「たまねぎ・にんにくおじさん」が出て行くとヒューヒュー、やんやの大喝采。「たまねぎ・にんにくおじさん」はPBPのときに、自転車にたまねぎとにんにくの束をつけて走り、すっかり有名になってしまった人である。彼も心得ていて、ベレー帽に横じまシャツ、スカーフまでしていかにも一昔前のフランス人みたいな扮装をしている。

このあと会場後方でビール、ワインと簡単なつまみで立食パーティが行なわれたが、フランス人たちはいつまでも帰ろうとせず、おしゃべりに夢中になっている。

一杯飲んで外に出ると気温は一段と下がっており、冬の早い日没で既にうす暗くなっていた。こうして表彰式が終わった。

PBP表彰式が行われたのはパリの寒さ厳しい1月である。以下はそんなパリの報告だ。PBPのときは、100人以上のエントリー手続き、保険料、参加費の支払いから、サポートパックの調整など日本出発直前まで慌ただしく、現地でも多忙な日々だった加藤さんであるが、今回はツアーとは違ったパリであったようだ。次回の情報としても役に立ちそうである。

出発準備、明日からパリへ・・・

明日は出発という夜、PBP出発準備に忙しかった日々を思い返す。白木会長からパリ行きの話があってから、家内と相談して次女を連れて3人で行こうとなり、急いで航空券とホテルの手配を始めた。しかしHISなどの格安旅行は売り出しと同時くらいに売り切れになっているか、日程が合わない。

覚悟を決めてじっくりネットで調べてみると、最近は滞在者用にレジデンスホテルが増えている。これは4人くらいまで泊まれて、自炊可能な設備と備品、そのうえホテル並みのサービスが受けられるというもので、都心部から郊外までいろいろな地域にある。

オペラ座付近はデパート、商店街、日本人街があってちょうど東京で言うと新宿のような町らしい。したがっていささか柄も悪そうではあったが、表彰式の行なわれるメトロ8号線のポルテ・ド・シャラントン駅にも乗り換えなしで行けるし、なによりも日本人街に近いし便利という理由で、オペラ近くのレジデンスに決定。CDGからオペラ座に直行バスが出ているのでその点も便利である。

朝食は頼めば出してくれるそうだが10ユーロでパンとコーヒー、チーズくらいらしいのでやめる。実際にタオル類は毎日交換、ベッドメーク、掃除も毎日やってくれ、風呂も熱いお湯がふんだんに出るし、ドライヤー、石鹸類もあってきわめて快適であった。 

日本とフランスの違いか、、、

ドゴール空港に着いた。入国検査を終え見回すとロワシーバス(メトロなどを運営する会社)のオペラ座直行バスストップがある。しかも間が良いことにバスが止まっている。

数人の日本人と思しきグループが車外にいるので安心してスーツケースを押して行くと、すうーと発車。彼女たちもあわてているが、お構いなしに行ってしまった。

日本なら運転士が、「乗るの?」くらいは聞いてくれるのだろうが、外国では「そんなのかんけーねー」とばかりに黙って発車してしまう。近くで缶ビールを飲みながらたむろしていたフランス人たちがニヤニヤ笑っている。彼らにチケット売り場を聞きたかったが、ちょっと怖いので建物の中に戻り、両替カウンターのおねえさんに聞きに行くと、暇なものだからアイポッドのイヤホンを耳にリズムをとっている。

バスは15分毎、切符は運転士からも買えるのを確認して戻ると、待つほども無く次が来た。オペラ座まで約40分、がんがん飛ばしていく。怖い。

 宿泊(レジデンス)

オペラ座の隣にはデパートのプランタン、ラファイエットがあり、ちょうどバーゲンが9日から始まってはじめての金曜の夕方でもあり、雑踏がすごい。バス停から何度か道を間違えながらもなんとかレジデンスにたどり着く。

3階(日本式で4階)のエレベーターを降りたすぐの部屋で、ベッドルームとリビングダイニングキッチン、それにバス。寝室にはダブルベッド、リビングにはソファベッドと小さなテーブル、いす4脚、TV。

ソファベッドはダブルサイズ、テーブルは重なった天板をひっくり返して倍に大きく出来、4人で食事が出来る大きさになる。小さなキッチンには電気調理器、湯沸し、オーブン、食洗機の中には専用洗剤まであり、調理道具はなべ類、フライパン、網など、食器はフォークナイフからお皿、コーヒーカップ、ワイングラスまでそろっている。食材さえ買えばなんでも調理できそうなのに一安心して、夕食を取りに外へ。

朝食はひとり10ユーロでコーヒーとパン、チーズだというのでやめる。

レストラン

あらかじめ狙いをつけていた近くのちょっと有名なレストランに行くが、金曜の晩とて予約が無ければ駄目と断られた。仕方なく手近にビストロを探すが、予約がないと断られつづけ3軒目にようやく入れてもらう。メニューはフランス語だけ、定食が25ユーロ、デザートつきで29ユーロ。前菜、主菜とも5~6種から選択できる。

前菜は野菜スープ、主菜は僕がステーキ、あとは内容も調理方法も分からないので別の肉料理をふたりぶん頼む。

スープはどうしてこんなにぬるいの? ステーキはどうしてこんなにでかくて固いの?

別の肉料理は、見てもなんだか分からない大きな黒っぽい塊がお皿にのっかっている。一口食べて「うっ」と言っているのでちょいと味見。おう、これはレバーステーキじゃん。三人とも苦手なので、98%残した。

料理人見習い

僕のおいっこが料理人を目指している。彼が最近、フランスにひと月ほど遊びに行って来て、料理は日本のほうがウマイ、と言っていた。さもありなん。ミシュランに載るような店は別として、市井の店は決してうまいとはいえないようだ。

余談だが、この日以降朝食は近所のパン屋で買ったサンドイッチと紅茶、ヨーグルト、夕食は近くの日本食コンビ二・十時や(10時に開店するから)か、いくらでもあるラーメン屋でラーメン・餃子・チャ-ハンなどを食べていた。

十時やは、とんかつ、幕の内弁当などから、カップラーメン、日本製ビール、調味料などほとんどなんでもあり便利だが、ちょっと(というより、かなり)汚い。最初見た時はショーウィンドウなどは油とほこりで汚れていて、つぶれて閉店後しばらく経った店かと思ったほどである。それでも日本人よりもフランス人の客のほうが多く、隅のイートインで箸を使って弁当などを食っているのをよく見かけた。

朝のサンドイッチは毎日違うパン屋で買ってみたが、あまりおいしいとは思えなかった。最近日本に進出してきたポールは塩と水、小麦粉にこだわってパンを作っています、という触れ込みだがサンドイッチはたいしたことは無かった。が、ポールに限らず、マカロンやタルト、チョコの入ったパンなど甘いものはおいしかった。

レンタサイクルシステム

料金は基本料金と使用料金の2本立てで、クレジットカードで決済する。

市内のあちこちに500メートルくらいごとにステーションがあり、全て同じデザインで、走ると自動的に前後ライトが点灯し、どこのステーションで乗り捨ててもOK。

基本は1日1ユーロ、1週間5ユーロ、それに使うたびに30分までは無料、次の30分から1ユーロ。したがって30分以内に返して借りなおせば、基本料金以外はずっと無料になると日本語パンフレットに書いてあった。レジデンス近くのクレジットカードの日本語アシタンスデスクで説明を受けたが、フランス人はクルマの運転が荒く危ないし、停めておくとすぐ泥棒に持っていかれるからやめたほうが良いと散々脅かされ、天気も悪かったので借りなかった。事実、運転は荒い、渋滞するとすぐプープー鳴らす、後続車の通行を妨害することなどお構いなしに停めるなど、日本から見るとわがまま勝手な人が多い。

しかし、パリの市内はどこに行くにも遠くないし、天気がよければ実に便利で快適そうである。但し事故には注意が必要だが。


▲日本はポイントランキング世界7位として表彰された。

▲表彰式が行われたエスパス・シャラトンの建物。

▲会場まではPBPの矢印標識で案内。なつかいしいね。

▲会場にはPBP参加者たち大勢が集まっていた。

▲リザルト、パンフレット、完走プレート、ブルベカードなどが入った封筒が並ぶ受付。同じ物が参加者に郵送される。

▲会場いっぱいの出席者はフランス人がほとんどだが、各国から来た人は壇上で紹介された。

▲フランス以外のBRM責任者ファブレルさんのこどもたち。

▲壇上には数多くのトロフィーが並び、表彰者毎にプロジェクターで紹介された。

▲前半にはフレッシュなどの表彰もあった。日本でも初めてフレッシュを今年行う。

▲表彰者はスピーチをし、周りからお祝いされ盛り上がる。

▲スザンヌ・ルパーテルさん。2003年当時、ファブレルさんの前任者が急死後はフランス以外のBRM責任者を代行したACPの実力者、ルパーテル一家の一員である。英語は話せないので、2003PBPへの日本初エントリー手続きは困難を極めたそうである。

▲フランス以外の国のACP representativeを管轄するBRM責任者であるファブレルさん。

▲ランドヌール5000の表彰。今年は日本から初めてのランドヌール5000申請者が出そうである。

▲PBPの表彰プレート。残念ながら日本はこれほど立派なものはもらえなかった。個人表彰にはPBP完走10回など、驚嘆するようなランドヌールたちが登場した。

▲AJ前会長加藤さんが表彰台へ。加藤さんの任期中、日本は着実に参加者が増え続け、PBP初参加だった2003年は20名だったのが、2007年にはACPから期待された100名以上を実現した。

▲たまねぎ、にんにくと共に1200km疾走して有名になった人も表彰された。パンフレットにも写真が載っている。(photo by Tak Kawano)

▲次回PBPは2011年、5000人以上の参加者がいながらACP役員はもちろんのこと、すべてボランティアによる運営、この人たちががんばっているのである。
文・写真:加藤 孝/まとめ・キャプション:白木 緑

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